莫言氏に「言論の自由」について問い詰めるのはとぼけた話だ (2)
中国には言論の自由に本当に反対する人は恐らくなく、技術発展によって従来の少なからぬ規制が回避され、言論の自由の質が刷新され続けている。政府は確かにいくつかの規制的行動に出ているが、その全てはむしろ言論の自由の発展のペースを押さえるものであり、社会全体がそれに対して可能な限り適応する姿勢でいる。
中国と西側は比較できないのではない。比較は他者の長所や自らの不足に気づくことを含め、われわれに思考と啓示をもたらしうる。だが中国の万民が注視するノーベル文学賞受賞者に、自らの国に「言論の自由」があるか否かを繰り返し詰問するのは、通常言うところの「比較」だろうか?これはとぼけているのであり、光栄な瞬間に故意に不愉快な思いをさせようとしているのだ。
中国はほぼ全面的に西側に後れをとっている。このことは中国人なら知っている。だがここ30数年間に中国が最も急速な発展を遂げ、全世界に衝撃を与えたことも、現在の中国人は知っている。「われわれが、これほど急速な発展を遂げることができたのはなぜか。西側の道の他に、中国人が自ら模索し、かつ自信を抱くに値する発展の道が本当にあるのではないか?」と中国人は考えざるを得ない。
こうした考えは中国の主流社会において、すでに1つの潮流となっている。西側の過去の成功のために、また、既成の成果に対する自然な崇拝のために、中国には依然として「西側の政治は普遍的価値を備える」と考える者が少なからずいる。だがこれは決して中国人全体の信念ではない。西側の人間は中国の本当の世論をしっかりと見るべきだ。このように急激に発展する大国の民意を誤って判断すべきでは断じてない。
言論の自由はもちろんいいものであり、中国においてたゆまず発展している。だが「西側のような言論の自由が中国にはなぜないのか」と問うことで、相当秩序をもって台頭しているこの国を教え諭そうとするのは、これ以上ないくらいでたらめな話だ。(編集NA)
「人民網日本語版」2012年12月12日