月末になると懐が寒くなり、衣食を切り詰めて節約せざるを得ないという人も少なくない。では、日本には安価な「ねこまんま」という料理があるのをご存じだろうか。もちろんこれは、ネコが食べる餌というわけではなく、れっきとした日本の伝統的な料理だ。過去において、「ねこまんま」は貧しい人が生き延びるために食べたものだったが、経済が低迷する現在、日本人にとって「ねこまんま」は、過去の苦労を思い、今の幸せをかみしめるための材料となっているだけでなく、再び節約のための手段となっている。環球時報が報じた。
■現代「ねこまんま」という呼び方は不適切
日本では、ご飯にカツオ節をかけ混ぜ込んだものや、ご飯に味噌汁をかけた簡便な混ぜご飯を「ねこまんま」と呼ぶ。お米は日本の主食で、比較的安価に手に入る。一方のカツオも日本では非常に一般的な食用魚だ。そのカツオの肉を加熱してから乾燥させ、削ったものが「カツオ節」。「ねこまんま」の作り方は、ご飯にカツオ節をかけ、その上に醤油や味噌汁などをかける。「ねこまんま」と呼ばれているのは、かつてネコに与えていた簡単な餌、残飯の様相を持っているから。しかし、現代の人が食べる「ねこまんま」は塩分が多く、ネコの健康を損なう恐れがあるため、餌としてはすすめられていない。日本人が現在、ネコに餌として与えているのは、キャットフードやネコ用の缶詰だ。その値段も人が食べているものより高価な事が多く、「ねこまんま」という名前はもう適切ではなくなっているという人もいる。
「ねこまんま」の起源は定かではないが、日本の歴史の中で、戦災や飢餓が頻発していた時代に「ねこまんま」は貧しい庶民の主食となり、既に1000年以上の歴史があると考える人もいる。江戸時代中・後期、幕府が腐敗し、鎖国していたため、社会資源は乏しく、貧富の差が広がった。そして、最も底辺の農民や手工業従事者、しいては身分の低い武士でさえ食べ物に困窮していたため、安くて簡単な「ねこまんま」が流行。当時カツオの産地として有名だった静岡や紀伊半島の和歌山、九州の鹿児島で生産されたカツオ節が「ねこまんま」の主な材料となった。一方、明治維新(1868年ごろ)後の争乱期から第二次世界大戦後期まで、常に飢餓や死の危険にさらされていた日本の庶民は「ねこまんま」を生きるための「最後の方法」と見なしていた。このように過去において、「ねこまんま」を食べていたのは主に貧しい人だ。ただ、独特の風味があるとあって、一部の富裕層や地方官僚も好奇心から食べるようになった。戦国時代(15世紀末-16世紀末)の関東の覇者北条家も「ねこまんま」を好んでいたと言われ、名将・北条氏康は、息子・氏政がメシに汁を2回かけるのを見て「北条家もこれまで」と嘆いたと言われている。
[1] [2]