検証・釣魚島領有権問題に関する中日間の「棚上げ合意」 (4)
三、釣魚島周辺における石油資源の中日共同開発の動き
「中日平和友好条約」の調印とその後に大平正芳内閣の誕生によって、中日両国政府は、釣魚島周辺における石油資源の共同開発の動きがあった。1978年8月18日、園田外相は、国会の答弁で、「友好条約が出来たので、今後、石油開発等は協力してやっていきたい」旨を述べ、中日共同開発の可能性もあることをほのめかした。日本側の姿勢に対し、翌79年5月31日、トウ小平副総理は、鈴木善幸議員との会談の席上で、「領土権に触れないで共同開発」と応対した。6月1日付の『朝日新聞』は、「自民党首脳は31日夜、『領有権の帰属を主張し合うだけでなく、渤海油田開発の日中交渉を早く片付け、尖閣列島周辺の油田の共同開発について話し合いを始めるべきだ』との発言を報ずると同時に、「領有権を主張し合うより現実的な処理を積み重ねることによって、日中友好を進めた方が得策である。(中略)党首脳発言は境界線確定よりも共同開発の話し合いを重視する考えを示したものと見られ注目される」と評した。
そして、7月10日、園田外相と森山欽司運輸相は閣議で、「領有権は別として、中国との共同開発を進めたい」と、エネルギー開発問題に関連して釣魚島周辺海域における海底原油の中日共同開発に積極的に取り組む意向を示した。園田外相は閣議後、直ちに外務省事務当局に対し、中国側と正式に交渉に入るよう指示した。同日付の『読売新聞』の夕刊は、「両相の発言は、領有権は棚上げしたまま、日中両国だけで開発に当たろう、という狙いである」と分析した上で、「国際的な紛争点を回避する立場から、基本的に領有権の問題を棚上げすることで合意しており、中国のトウ小平副総理も『解決は子孫の知恵に委ねよう』と述べている」とその背景を解釈した。同日付の『朝日新聞』の夕刊は、「これまでに両国は同列島の領有権をめぐる対立を避けるため日中平和友好条約の締結交渉を通じても『尖閣列島は棚上げ』の形をとってきたが、主要先進国首脳会議(東京サミット)での石油輸入量の長期規制というエネルギー輸入国にとって、深刻な事情を考え合わせれば、いつまでも避けて通れる問題ではないとの判断から中国側との話し合いに入る姿勢を打ち出したものと見られる」と論評した。日本側の提案に対し、7月15日、李先念副総理は、平岡徹男を団長とする毎日新聞訪中団との会談の席上で、「共同開発は日本の友人が提案したもので、我々も賛成する。領土問題を棚上げにして、まず資源開発するやり方に賛成だ」と賛意を表明した。8月15日、大平首相は高島益朗外務事務次官からの、「日中両国で尖閣列島周辺の海底油田を共同開発する問題の糸口として、中国側と海洋法を巡る基本的な考え方についての意見交換を今月下旬にも先方に申し入れる方針であること」を了承した。そして、「8月23日、在中国大使館より海洋法の諸問題に関する話し合いの申し入れを行う。11月8日-9日、海洋法問題に関する日中非公式協議が開催」されたのである。
四、結論
以上の記録から立証されるように、1.中日間には釣魚島領有権問題が存在していること、2.釣魚島領有権問題に関し、中日間には「棚上げ合意」が成立していたこと、3.釣魚島周辺における資源の共同開発の動きがあったことは、明らかな事であり、それは動かし難い歴史的事実である。従って、釣魚島領有権問題に関する菅、野田両政権の一方的な主張と行動、また、「国交正常化交渉の際、中国側は領有権主張を行わなかった」と説く論者の主張は、史実を覆したものである。これにより、理性的な解決の道が閉ざされることになる。
中日両国は、引っ越しの出来ない永遠の隣人として、今や、21世紀に生きる両国の英知が試されているところである。中日両国の貿易額は1972年の11億ドルから2011年の3,449億1,623万ドルへと313倍に拡大した。また、両国の人的な往来は、1972年の9,046人から2011年の540万人へと599倍を超す規模に達した。中国本土(台湾、香港、澳門を除く)は2007年から5年連続で日本の最大貿易国となり、2009年は、更に戦後初めて米国を抜き、日本最大の輸出相手国となった。
そこで、「小異を残して、大同につく」という中日講和の精神を甦らせ、「平和・友好・協力」の中日関係の更なる発展を祈願する次第である。
「人民網日本語版」2013年1月15日