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検証・釣魚島領有権問題に関する中日間の「棚上げ合意」 (2)

 一、中日国交正常化交渉の際、「棚上げ方式」に合意

 話は少し遡るが、既に沖縄返還される前の1971年7月、日本外務省がまとめた極秘資料には、尖閣問題に関し、「尖閣諸島領有〔権〕問題をめぐって日華双方が反撥し合うことは、日華間の友好協力関係に悪影響を及ぼす恐れがあり、かつ、またこの問題をめぐって日華の対立が浮き彫りにされるにおいては、中共をして日華の友好関係に楔を打ち込む絶好の口実を与えることになるので、日華双方の政府は本問題を重大問題としないよう極力配慮する必要がある」との記述があり、日本政府は問題の棚上げを望んでいた様子が窺える。1972年3月25日、田中角栄通産相は、国会における尖閣島周辺の資源開発に関する質疑で、「この大陸だな海洋開発というものに対しては、(中略)最終的にはやはり日本と中国とか協議をするということが円満な解決方法だ、こういうことだといま政治的には考えております」と答弁し、5月9日には、「台湾、中国大陸の立場もあり」と前置きしながら、「ここは大陸棚問題としても、台湾との問題とか中国大陸との問題とか、日本に復帰する沖繩との境界線、非常に難しい問題が入り組んでいる。これは話し合いをしながら、円満に地下資源というものは開発をしていかなければならないということは事実である」と答弁した。5月25日、福田赳夫外相は尖閣諸島に関する質疑で、「(中国から)物言いがついては困るから、ことは荒立てないほうがいい」と答弁している。以上の答弁から、日本政府は、尖閣諸島領有権問題が存在していることを認識していたと看取される。

 他方、1972年7月の周恩来・竹入義勝会談の席上で、周総理は、釣魚島問題の現実的な解決策として、初めて「棚上げ論」を提起した。竹入の手記によれば、「尖閣諸島の帰属では『歴史上も文献からしても日本の固有の領土だ』というと、周さんはニコニコ笑うだけ。『釣魚島は昔から中国の領土で、見解を変えるわけにはいかない。際限なくぶつかり合うだけなので、棚上げして、後の賢い人たちに任せましょう』。譲る考えを見せなかった」と記している。

 同年9月25日、田中角栄首相、大平正芳外相らは中日国交正常化交渉のため、訪中した。9月27日に開かれた第3回中日首脳会談で、中日両国は、釣魚島領有権問題を棚上げにすることで合意した。外交部の顧問として、国交正常化交渉に関する4回の首脳会談と3回の外相会談に参加した張香山の手記によれば、会談が終わりに近づこうとした時、田中首相は、「この機会を借りて、お国の尖閣諸島についての態度をお伺いしたい」と切り出し、周総理:「今回は話したくない。今この問題を取り上げてもいいことはありません」。田中首相:「私が北京に来た以上、この問題に全然触れないで帰国したら困ることになる。今、この問題に言及したので、報告はできるようになった。一応の責任を果たした」。周総理:「海底油田が発見されたから、台湾はこの問題を大きく取り上げている。米国も何かやろうとしている」。田中首相:「それで結構です。これ以上言う必要はない。今後のことにしましょう」。周総理:「今後のことにしましょう。今回、私達は大きな問題である関係正常化を最初に解決すべきだ。これが一番差し迫った問題だからです。一部の問題はしばらく時間がたってから」。田中首相:「国交正常化が実現できれば、その問題も解決できるでしょう」、というようなやりとりが交わされた。

 更に、首脳会談に出席した二階堂進官房長官は、「田中さんが会談の最後に、『尖閣列島の共同開発をやりましょう』と言ったところ、周さんが『田中さん、その話はあとにしましょう』とハッキリ言い、田中さんがそれ以上突っ込まなかったということである」と証言する。1996年11月、二階堂は、『人民日報』と新華社記者のインタビューで、交渉の情景を振り返り、「会談の中で、田中首相の方からこの問題をどう扱うべきかと周恩来総理に質問しました。周恩来総理は少し考えた後、『この問題は今後の議題として、今回は取り上げないことにしましょう』とおっしゃいました。田中首相も、『では、今後話すことにしましょう』と賛成しました。これは事実上、双方の指導者の意見が一致したことになります。即ち、この問題について、今後ゆっくり解決しましょう、ということで合意したのです。今の一部の若い人は歴史を知らず、歴史を尊重しない」とその真実を打ち明かした。1997年9月、二階堂は更に、『朝日新聞』主催の国交正常化25周年記念特別講演会で、「台湾問題にしても尖閣諸島の問題にしても、国交正常化当時の基本がだんだん忘れられているのではないか」と警鐘を鳴らした上で、「私は昨年訪中して江沢民・国家主席と会った際、25年前、田中角栄首相が周恩来総理に、尖閣周辺で石油の共同開発をしませんか、と持ちかけた話を紹介した。江主席は『それも一つの考え方ですね』と話していた」という秘話を披瀝した。
 1972年11月6日、大平外相は、国会で「日中平和友好条約で領土問題に触れるか」という質問に対し、「後ろ向きの問題の処理は、日中共同声明で終わった。平和友好条約は、前向きに両国の友好関係を規定する指針であるというところから判断してほしい」旨を答弁し、中日平和友好条約交渉では「尖閣諸島領有権問題に触れず、『凍結』ないし『棚上げ』とする方針を示唆した」のである。そして、1973年3月27日、大平外相は国会における尖閣問題に関する質疑で、「この問題が紛争の火種になることのないように、我々は配慮していかなければならない」と答弁した。一方、1974年4月、董必武・国家主席代理は、小川平四郎大使との会見で、「中国と日本の間には陸地での国境の問題はない。台湾の問題もあり、釣魚島の問題もあるが、釣魚島問題については今後道理を持って話し合えばよい」と前向きな姿勢を示した。同年10月3日、トウ小平副総理は、黒田寿男を団長とする日中友好協会(正統)訪中団との会談の席上で、「(中日平和友好条約)交渉に当たっては、尖閣列島領有問題は棚上げにした方がよい。こういう問題を持ち出すと、何年たっても解決しないだろう」と中日平和友好条約交渉の際にも釣魚島領有権問題を棚上げにすることを明らかにした。他方、1974年4月2日、マンスフィールド米上院民主党院内総務は、上院本会議で、「現在、日本、中国、台湾三者でその請求権をめぐって揉めている尖閣列島、その他南沙、西沙列島の請求権を求めた中国の主張は、歴史的に見てももっとも根拠のある権利の主張だ」と客観的な分析を行った。

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