北京在住20年の英国人「中国生活に100%満足」
「中国での生活に100%満足している。マイホームを持ち、4人の娘に恵まれ、自分で会社を経営している。ここ北京で、多くの善き友人に恵まれ、自由を謳歌(おうか)する毎日だ。このような完璧な生活は、北京がもたらしてくれたものであり、その点では北京にいくら感謝しても感謝しきれない」-----。宣伝文句のようなセリフだが、そうではない。英国出身のドミニック・ジョンソン・ヒル(中国語名・江森海)氏が語る心の底からの言葉だ。中国経済週刊が伝えた。
1993年、ドミニック青年は英国からはるばる北京にやって来た。万里の長城を上り、頤和園を観光し、所持金を使い果たしたため、仕事を探し始めた。「それから20年もの間、北京で暮らすとは、当時は全く思いも寄らなかった。あの頃、私には将来の計画もなく、ただ遊ぶのが好きで、自由でいたかった」と回想する。当時の北京には、「洋北漂(北京にやってきて活躍の場を求める外国人)」はほとんどおらず、外国人は大変歓迎され、仕事を得るチャンスも多かったという。「英語を教えてほしいという人から、私は引っ張りだこだった」
ドミニックさんはその後、中国語と北京方言をマスターし、友人にも恵まれ、自分が生活する土地の歴史や文化について研究し始めた。そうするうちに、だんだんと、北京のことが好きになってきたという。
2003年、ドミニックさんは、後に妻となるカナダ出身のローラさんと知り合った。北京の伝統的な街並みが残る「南鑼鼓巷」に引っ越し、商売を始めるために店舗を借りた。「当時、北京テイストのTシャツはほとんどなかった。あったとしても、かなりダサく、とても北京ブランドと呼べる代物ではなかった。ロンドン、ニューヨーク、パリなど大都市ならどこでも、ご当地ブランドのTシャツがあった。私は、長い北京での生活経験を活かして、一人の外国人の視点から北京を眺め、北京の変化を追っていこうと思った」と彼は語った。
「私が作るTシャツが、北京を代表するものだと言いきることはできない。しかし、それは、一人の外国人がとらえた中国を代表するものだ。外国人と中国人の物の見方は、決して同一ではない」。このように話すドミニックさんは、文革期の革命模範劇、年画(旧正月に飾る縁起の良い画)、痰壺、番地札、地下鉄切符、弁証屋(偽証明書を作る業者)電話番号など、中国人には日常見慣れてた物も、外国人の目には、極めて珍しく、レトロで新鮮に映ると話した。