「道徳心の欠如」を許さない時代の加藤嘉一考 (2)
もう一つの反応は、「沈黙」だった。これは、主に、「正確さ」を自負したメディアや社会の知識界が取った態度だ。「沈黙」の理由は、「事件」自体が、彼らの口を出す範疇から外れていることによる。正確で鋭い視点を持ち、コラムやその他の分野で才能を大いに発揮している日本の若者が、どうして「経歴詐称」という浅はかな行動を取ったのか、その理由は、彼らにとっても理解し難いようだ。
成功や称賛という光のもとには、かならず見えない「陰謀」がある。では、加藤氏の一件の背後で糸を引いていた人物は、一体誰なのか?騒動があり、結末があった後に、ようやくそれは動き出す。地位も名誉も失った後の加藤氏に関する記事を、あるメディアが報じた。その中で、加藤氏の背後で糸を引いていた存在として、彼にコラムを書かせたメディアや編集者などバックアップしていた人々、ひいてはブログのフォロワーや彼女までが取り上げられた。彼らは、加藤氏のせいで「顔に泥を塗られ」、道徳的な負い目を感じることになった。
ここで、これまでの加藤氏の疑惑に関するさまざまな手掛かりを探ってみよう。彼のはっきりしないあいまいさ、日和見的態度、したたかさ、さらには努力や勤勉さに至るまで、全てが、「成功」という覆いに隠されたシンボルだと解釈できる。彼の言論は、嘘と不道徳にまみれて一文の価値もない。特に、「中国の高速鉄道が、日本の新幹線より危険だとは必ずしも言えない」などといった明確な根拠を伴わない彼の文章は、決して表向きにはできない企みの存在を暗示している。それは日本人という立場を利用し、政治的要人の歓心を買い、それを利用して未来への道を切り開く、という企みだ。彼の擁護派である中国人知識層も、今となっては彼との関係を清算する必要に迫られている。加藤氏は確かに問題がある人物だが、敢えてそれを声高く指摘する人はいない。彼の行為は正しいとはいえず、嘘をついたが、それでも、勤勉で才能のなる若者である事実には変わりがない。彼の視点には捉えどころがないように見えるが、実際のところ、真実の中国の現状の複雑さが、彼の理解をより複雑にしているのだ。
「道徳心の欠如」を許さない風潮の現代中国社会では、このような主張をする人はいないだろう。何から何まで全てを白黒に分け、立場を明らかにしなければならない。「清く正しく美しい」立派なものは全て一緒に集められ、そうではないものは全て敵とされる。立派ではない加藤氏、低俗軽薄に徹する者、下心を持って人を騙すペテン師は、全て一緒に葬られ、それ以外の運命は残されていない。(編集KM)
「人民網日本語版」2012年11月14日
事件:加藤嘉一氏、「東大合格はウソ」
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