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ルールというしがらみを逃れるため、農村へ向かう日本の若者たち

人民網日本語版 2017年01月16日15:00

たとえ成熟して安定した社会の中でも、イノベーションを起こしたり、起業する人がおり、彼らは大きな集団を抜け出したいという理由から自分の個性にあったポジションを選ぶのだ。(文:李勝博。中国青年報掲載)

サキさんは私が日本で知り合った友達だ。彼女は恵まれた教育環境で育ち、海外で仕事の経験もあり、3、4種類の言語を話すことができる。現在は島根県津和野町というあまり聞いたことも無いような小さな町で働いている。そんな彼女が参加するプロジェクトは大都市のハイエンド人材を農村に派遣するというものだ。

津和野町に来た初日、私はサキさんと一緒に食事をした。その席で私は取り箸を使わず、自分の箸をそのまま使っていた。そんな私にサキさんは、「日本では他の人と一緒に食事をするときに目上の人がいた場合、その人を敬い、礼儀正しく振る舞う必要がある。また、取り箸がない場合、後輩は自分の箸の持つ側で料理を取るのがいい」と教えてくれた。同時に彼女は、「私たちのような若い世代で、特に二人だけのような場合は、別に気にしなくても大丈夫」と優しく付け加えた。

サキさんの言葉を聞いて、私はやや恥ずかしく感じた。日本では私は知らないうちに他人に迷惑をかけないようにいつも気を配っている。ある時、地下鉄に乗っていて車両がとても混雑しており、ある人が下車するときに私は少し押されてしまった。そのときに私は自分の周りにいる人全員が鞄を背負わず、床に置いたり、脇に挟んだり、手に提げていることにふと気づいた。改めて思い直してみると、鞄を背負っていると他の人にぶつかりやすい。これが日本では地下鉄に乗るときのルールかどうかわからなかったが、私はひそかに鞄を降ろし、両足の間に置いた。

私が観察した限りでは、日本人は特にルールを守ることを心がけており、全ての人が自分の抽象的な領域のようなものを持っているように感じる。これは個人のポジションによって異なり、年齢や職業、性別の違いによって決まるもののようだ。それぞれのポジションで対応できる限界が異なり、その領域内では、日本人の職務上の責任が明確化されていて、目上の人を敬う縦社会になっている。その領域の外では、本分を超えた行動をとったり、他人の機嫌を損ねてはならず、往々にして他の人と同じようにすることが大事となる。


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