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660年前に饅頭を日本に伝えた寧波奉化出身の林浄因

人民網日本語版 2017年06月12日13:22

浙江省寧波市奉化区黄賢村にある饅頭館。

「饅頭」(中国風蒸しパン)は、浙江省寧波市の街頭でよく見かける朝食だが、奈良県奈良市の漢國神社の境内にある林神社が、寧波出身の「饅頭の祖」林浄因が饅頭を日本に伝えた記念に創立されたことを知る人はほとんどいないだろう。毎年林神社では、林浄因の命日である4月19日に「饅頭まつり」が催される。(文:王思勤 楊静雅 寧波晩報掲載)。

林浄因は、北宋時代の詩人・林逋の7代目の末裔にあたり、浙江省寧波市奉化区黄賢村で生まれた。取材のため黄賢村を訪れた記者は、林浄因の34代目の末裔にあたる、日本の林氏饅頭「塩瀬総本家」の当主・川島英子氏が、自身のルーツについて調べるためにかつてこの地を訪れたことを知った。

〇 日本の「まんじゅうの元祖」

元の時代、日本の僧侶・竜山徳見が中国を訪れ、林浄因と親しく交流した。1350年、竜山禅師が日本に帰国する際に、林浄因も日本に向かう船に乗った。海のシルクロードを渡り、船は日本に到着した。当時、日本には小麦粉を発酵させる技術がなく、点心(お菓子)の多くは、堅くパサパサした米菓子だった。林浄因は、中国饅頭の製法を参考に、日本人好みの餡を組み合わせたまんじゅうを作り、表面に「林」の字の焼印を入れて大々的に販売した。

林浄因のまんじゅう製法技術は後代に引き継がれ、複数の支店をオープンした。その後、戦争によるトラブルを避けるため、林氏は苗字を「塩瀬」に改めた。林浄因の子孫の一人は、点心の作り方を学ぶために中国の宮廷に赴いた。学び終えて日本に帰国すると、東京にまんじゅう店を新しく開き、屋号を「塩瀬」とした。また、「日本第一番本饅頭所林氏塩瀬」の看板を授かった。

林氏塩瀬饅頭は、江戸幕府の歴代将軍から寵愛を受け、長きにわたり朝廷の「御用菓子」であり続けた。その後、その名がどんどん広まった林家饅頭は、日本人が最も好むお菓子の一つとなった。

林浄因は、結婚する際に、赤・白2色のまんじゅうを大量に作り、お祝いに訪れた客に送ったという興味深いエピソードが残っている。今の時代も、日本には、結婚や他の慶事の際に、紅白まんじゅうを贈るという習わしが残っている。


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