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戦時中毒ガスを製造していた旧日本兵「軍国主義が日本に依然として存在している」

人民網日本語版 2017年07月19日15:55

今年は、南京大虐殺が起きて80周年で、中日国交正常化 45 周年にも当たる。中日友好を記念し、若い世代に戦争の歴史の真相を伝えようと、南京民間抗日戦争博物館の呉先斌・館長が率いる訪日団はこのほど、広島を訪問し、日本の友好団体と共同で、15日から「閉ざされた記憶―ノーモア南京展」と題する特別展を開催している。 16 日午後、特別シンポジウム「広島・南京をむすぶ平和友好のつどい」と「戦争の記憶を継承する」が広島で行われた。シンポジウムでは、南京大虐殺の生存者・故李秀英さんの娘の陸玲さんが、母親が経験した苦しみについて語った。また、第二次世界大戦中、毒ガスの製造を行ったという藤本安馬さん(91)も駆けつけ、自分の経験を通して、旧日本兵が戦争中に何をしたのかを語ったほか、毒ガス被害者に謝罪した。現代快報が報じた。

藤本さんは第二次世界大戦中、大久野島の毒ガス工場で毒ガスの製造に携わった。シンポジウムで、藤本さんは自分の経験を通して、旧日本兵が戦争中に何をしたのかを語った。スピーチが始まる前、藤本さんは、「1937 年 12 月に南京が陥落した後、旧日本兵は残酷な虐殺を行った。今年で南京大虐殺が起きて丸 80年。私は南京大虐殺の犠牲者に哀悼の意を示したい」と話した。

「1941 年、大久野島の毒ガス工場に行き、当時の宣伝の影響を受けて、私の頭の中は軍国主義の思想でいっぱいだった。戦争に1日でも早く勝利するために、訓練中は一生懸命勉強した。私が作っていたのは中国人を殺すための毒ガス。私は絶対に忘れない。忘れれば、歴史を証明する機会を失ってしまう」と藤本さん。


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