中小企業はいかにして「メードインジャパン」の革新の根幹を支えているか (2)

人民網日本語版 2019年07月29日13:16

丁氏は、「産業が盛んな省である広東省にも似たような状況がみられる。たくさんの『小規模だが強みをもった』中小企業がより多く育成され、産業の質の高い発展を推進する重要なルートとなっている」と述べた。

▽大企業とともに利益共同体を構成

日本の中小企業はつまるところどれほど専念しているのか。東京都大田区にある信栄技研工業は社員10人ほどの町工場で、数十年にわたりひたすら板金に専念してきた。鉄、ステンレス、合金、カーボンなど各種材料に板金加工を施し、直径0.5ミリメートルのシャープペンシルの芯に直径0.3ミリメートルの穴を120個開けることもできる。その板金技術が精密さを増すのにともない、日本の大企業の液晶パネルや電子顕微鏡にとって同社との提携が不可欠になっていった。

丁氏は、「多くの企業は世間がまったく注目しない分野からスタートし、数十年にわたって日々研鑽を積み重ね、どこまでも精密さを求めて、ついにブレークスルーを起こすことが高く評価される。1つの分野に専念して競争力を構築したのは、日本の多くの優れた日本企業がみな、価格、生産規模、製品の種類では大企業と競争しても勝てないことをよく知っていたからだ。そこで生産技術のウェイトが低く、価格戦争に巻き込まれる可能性のある製品は避けた。一方、こうした企業は他企業が勝てないほどの専門的な技能を身につけるために努力を重ねた」と述べた。丸川氏は、「ここ数年、日本企業の国際特許出願件数はずっと世界2位であり、1位の米国にますます近づいている。出願の中心になっているのは中小企業だ」と述べた。

実際、日本の中小企業の位置づけは、日本の産業構造のモデル転換と関係がある。1980年代初頭、海外に工場を建設する各業界のリーディングカンパニーが増えるのにともない、日本の中小企業の受注量は減少を続けた。活路を求めて、日本国内の中小企業は「独自の道を切り開く」しかなかった。1968年創業の浜野製作所などは、大企業からの受注がなくなりモデル転換を迫られる中で、試作板金(製品の形状が確定していない時点で作成する原型となるサンプルの型や機械)に取り組み、引き渡しまでの期間を極限まで短縮して、顧客をそれまでの4社から1500社へと拡大する奇跡を成し遂げた。

日本での調査研究でわかったことは、中小企業が技術や製品に専念できたもう1つの重要な原因は、直面した市場環境と関係がある。富士インパルス株式会社の山田哲郎社長は、「研究開発と製品をしっかりやることだけ考えて、どうやったら売れるかということをあまり考えてこなかった」と述べた。中国企業からみると不思議に思えるこうしたやり方が、100年の歴史をもつ同社の経営の要諦だという。

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