やりたいことはすぐに実行
「麺人」作りの道を歩み続けてきた郎佳子彧さんにも全く悩みが無かったという訳ではない。正確を期するなら、郎佳子彧さんの最初の職業選択は「麺人」作りではなかった。
「僕が小さい頃、伝統手工芸というのはダサいものと思う人がほとんどだった」と振り返る郎佳子彧さんは、高校に進学したばかりの頃、自己紹介でクラスメートたちが芸術の才をアピールする際、バレエやピアノを習っていると紹介する中、彼だけが「僕は『麺人』作りをやってます」と発言。そしてクラスメートたちの反応は、小学校の時同様、何のことやらわからないというものだった。
また、材料となる小麦粉は芸術として発揮できる可能性が限られているのではないかという考えにとらわれた時期もあった。「作品も小さく、表現したい思いを上手く誇張して表現することもできない」という思いから、ついには「一体どうやって『麺人』作りを学んでいけばいいのだろうか」というところまで思いつめたという。
その転機は大学在学中に訪れた。ある芸術展を見に行った際、パンを使って様々な形の手を作りだし、壁いっぱいに貼り付けるというアーティストの作品を目にした。パンが乾燥してひび割れた様子がちょうど手の皺を表現しており、独特の美しさが表現されていた。
「その時突然、いわゆる材料の限界というのは、実は自分自身の才能が不足しているからで、用いる材料の最大の欠点は、実は最大の長所となる可能性があるんじゃないかと思った」と郎佳子彧さん。その時から、彼は「麺人」作りの芸術的な表現力に対する疑問を抱くことはなくなり、むしろそれを最高の域まで高めようと努力し始めた。
勉学の傍ら、郎佳子彧さんは個人のソーシャルメディアで発信するようになった。動画撮影だけでなく、一部のオフラインのイベントにも参加して、「麺人」作りの芸術についてPRし続けた。大学院2年の時、彼は将来の職業の選択について考え始めたが、起業するかどうかという点で結局決心することができなかった。
そして2020年年初のある夜、郎佳子彧さんのスマホは友人たちから送られてきたメッセージで埋め尽くされた。それは彼の幼いころからの憧れのスターだったNBAの元プロバスケットボールプレーヤー、コービー・ブライアント選手がヘリコプターの墜落事故で亡くなったというニュースだった。
郎佳子彧さんは、「その時ようやく実感した。明日にはどうなるかわからないのならば、やりたいと思ったことはすぐに実行に移すべきだ、と。そして、起業した」とした。
孤独さと快適さと
郎佳子彧さんの仕事は朝10時から夜12時まで。忙しい時には食事の時間すら取れないほどだという。一番つらかった時期、アトリエのメンバーたちは貯金を切り崩しながら頑張るしかなかった。
郎佳子彧さんは「麺人」作りに対して複雑な思いを抱いている。「時間の中から抜け出したようなリラックスした感覚を得ることができる」とする彼は、「麺人」作りで自分を表現する過程を楽しみ、「大勢になびかない」ことで生じる楽しさを享受している。そして、「この点は、僕がとても魅力を感じる点であり、僕自身も得意な点と言えるだろう。それに客観的に見ても、伝統文化は現在復活しつつある」とする。
「無形文化財」を保護する必要があるのは、それが希少だからだ。以前、郎佳子彧さんに、「ニッチな職業というのはどういう感じですか?」と質問した人がいたという。その質問に対する郎佳子彧さんの答えは、「自分はどこまでも続く大海の中で、小舟のように漂っているような存在。空母の上では味わえない快適さもあるけれど、孤独も感じる。でも時には、その孤独感は一種の栄誉だとも言える」というものだった。しかしその一方で、郎佳子彧さんは「そんな小舟がたくさん現れることを願っている。いつの日かそんな小舟が海一面を覆い尽くして欲しい」とその思いを語った。(編集TG)
「人民網日本語版」2022年1月20日