「監督になったのは運命。監督という職業が僕を選んだ」
山田監督は、「学生時代、日本にテレビ局や出版社がたくさんあり、映画会社もとても多かった。そのような時代だったので、映画製作会社の入社試験を何度も受けた。そして、たまたま松竹に入社できた。当時、新聞社やテレビ局の入社試験を受けていれば、記者になっていたかもしれない。だから、僕が映画監督を選んだというよりは、映画監督という職業が僕を選んでくれたと言える。そのため、初めからあまりに大きな目標を持ち、それが達成できなければ立ち直れなかったかもしれない。毎日、一歩一歩、こつこつとしなければならないことをしていれば、目標というのは向かうから近付いてくるもの」と、「映画監督になったのは運命」だったことを語った。
山田監督は、「中国には何度も来たことがあるが、年齢的にも今回が最後になるかもしれない」と、聞く者に淋しさを感じさせる話題にも言及。13年に著名な映画監督の大島渚監督が亡くなり、お通夜に参列した山田監督は、「同世代の監督が亡くなって寂しい。またひとり消えていったとガッカリしている」と語り、04年に世界の映画界に貢献した映画製作者に贈られる黒澤明賞(東京国際映画祭主催 )を受賞した際には、「受賞が僕の映画人生の終わりを意味しているならとてもさみしい。黒澤監督は83歳の時も現役でがんばっていた。僕もこれから良い作品をたくさん作れると信じている」と語った。
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