ずっと住んでいる人でも、旅行などで短期間訪問する人でも、日本に行ったことがある人なら、そのきれいな環境と美しい青空に強い印象を受けるだろう。実際には、世界3位のエコノミーで、先進工業国である日本もかつては空が白くかすみ、長期にわたって青空が見えない時期があった。そのため、青空の下での生活を取り戻すために、日本の政府や社会が力を合わせて数十年にわたって大気汚染や環境汚染の改善に取り組み、今でもその手綱をゆるめていない。(文:叢雲峰。文匯報掲載)
政府と社会が一致して環境保護
1960年代から、「四日市公害」を代表とする大気汚染問題が深刻化し、日本の社会では大気汚染が原因の煙霧に対する注目が一気に高まり、環境保護に対する意識も非常に高まった。特に、損害賠償や汚染物質の排出禁止を求める「公害訴訟」という圧力の下、日本政府は大気汚染が深刻化していることに対する認識を強め、改善するための取り組みも強化した。
日本政府が専門家を集めて大気汚染の原因を分析したところ、その主な発生源には、工場などの「固定発生源」と、自動車などの「移動発生源」があることが分かった。そのため、日本政府は汚染改善のために的を付いた取り組みを始めることができた。例えば、固定発生源に脱硫脱窒素装置を装着し、移動発生源には、法律・法規を制定して規制を設けた。
ただ、環境保護法による規制全てがスムーズに進んだわけではない。当初、多くの大企業などの抵抗や圧力を受け、高度成長期となった1960年代後半、日本のほとんどの重要都市では法律の基準に達していなかった。70年代に入り、日本政府は、法律によって厳しく規制しなければ、大気汚染や煙霧は深刻化する一方であることを認識し、環境保護法を改正して、法律を違反している企業に対する罰則を強化したり、厳格に法律を執行したりしたほか、極めて重要な法律原則を確立した。
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