写真出典:箭厰動画「南京で生活する日本人」
中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館の張建軍館長はある本に空の封筒を挟んでいる。封筒には差出人の名前も書かれていなければ、その中には手紙すら入っていない。実はこの封筒は日本の村岡崇光教授が同館を見学した後に、同館長に渡したもので、その中には招きを受けて南京大学で講演を行った時の講演料が入っていたという。
村岡さんは後からの手紙で、講演料を同館に寄付した理由について、「我々の前の世代の同胞がひどいことをした場所から一銭たりとも報酬を受け取ることはできない」と説明したという。
当時80歳間近だった村岡さんが同館を見学したのは2回目で、自分と同年齢か少し上の中国人の見学者を「直視することができなかった」と綴っている。南京利済巷慰安所旧址陳列館の出口前には、高齢の被害者の彫像があり、その目からは涙があふれ、「涙を拭いてあげてください」と書かれている。村岡さんはその慰安婦像の前に数分間静かに立ち続け、ハンカチを取り出してその涙を拭いた。
村岡さんは手紙に、「南京は私にとって特別な意味がある。亡父・村岡良江は航空参謀陸軍中佐として1938年から南京に駐在していた」と書いていた。
前の世代の同胞の贖罪をするために同館にやって来る日本人も多い。数年前、同館には日本人ボランティアの黒田薫さんがおり、彼女の父も中国侵略に参加した旧日本兵だった。60過ぎの黒田さんはいつも解説員事務所の角に座って、黙々と翻訳をしていた。その分厚いノートに書かれていたのは、全て同館の壁に掲げられた説明文の日本語訳だった。
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