母親と共に日本へ行き針灸館創設
唐さんが働くようになると、母親は日本へ行き、唐さんも働き始めてから2年後に日本に留学して医学を引き続き学ぶようになった。
日本では、中国の中国医学関連の学歴が認められないため、唐さんは一からのスタートとなった。まず、大阪の針灸専門学校で3年間働きながら学んだ。当時の事を振り返り、唐さんは、「負けず嫌いで、日本に行ってからは言語をマスターし、各科で上位の成績を収めた。そのため、日本人の同級生や教師にも敬意を示してもらえた」と感慨深げに話した。唐さんはもともと針灸のしっかりした基礎があったため、教師からどのようにツボを見つければよいのか聞かれることもあったという。
卒業後、唐さんは福田総合病院や大阪の広瀬整形外科医院で働いた。医療技術が非常に高く、態度も良かったため、唐さんの患者はいつも一番多く、指名されることもたびたびあったという。その後、母親の勧めもあり、唐さんは病院を辞めて、針灸院をオープンさせた。
当時、大阪に針灸院はあまりなく、日本人は中国の針灸に高い関心を示していた。針灸院がオープンすると、宣伝などはしなかったものの、口コミで評判が広がり、唐さんは大忙しとなった。その後、唐さんは自宅にも針灸院を開き、医学を学ぶ妹にも手伝ってもらうようになった。
針灸院の経営のほか、唐さんは公益事業にも精力を注いでいる。例えば、大阪府針灸師協会の理事を12年務めるほか、西日本華僑華人婦女会の会長や西日本新華僑華人聯合会の副会長、枚方市中日友好協会の理事なども務めている。
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