それでは、我々の物質的生活がますます良くなっているにもかかわらず、社会の雰囲気がますますこうした「戻気」に満ちたものになっているのでしょうか?当然のことながら、原因は一つではありません。けれども、私は、その原因の一つは、多くの人が常に強者のメンタルで社会や他人に向き合っていることにあると感じています。
このような強者のメンタルは、社会関係において、往々にして、他人のことなど眼中になく、自分を優先させ、他人の意見を受け入れず、他人が自分を越えることを受け入れられないといった態度に反映されます。このような強者のメンタルの中でも特に始末に負えないのは、強者による弱者いじめです。例えば、レストランの客が店員に対してののしり暴力をふるったり、マンションの住人が警備係を、男性が女性を、大人が子供や高齢者を、権力者が一般人を、そして金持ちが貧乏人をののしり殴るといった行為です。
このような強者のメンタル表現は、人と自然との関係においては、自然を征服し、自然を改造し、自然を搾取するというような形で現れ、自然を惧れ、自然を尊重するという態度では決してありません。このような強者のメンタル表現は、理性と感性との関係では、しばしば損得重視、効率至上主義、感性蔑視といった態度に現れ、体験や行動の意味に注目することはありません。このような強者のメンタル表現は、自然科学と人文社会科学との関係においては、つねに科学による排他主義、つまり科学の客観性・効用性を妄信する一方で、人文社会科学の批判性や情感を蔑視する態度に現れます。このような強者メンタル表現は、都市と農村との関係では、農村は都市至上主義を目標に据え、特に都市化建設と都市生活者の生活のためには農村と農村の利益を犠牲にしても厭わない、という流れとなります。
大学を巣立った後、どんな仕事に就くにせよ、これらのサービス提供者や清掃作業員、警備員の人々について理解しようと努め、権利やお金を持たない人々を理解しようと努め、高齢者や弱者、病人、身障者の人々を理解しようと努めて下さい。皆さんが、本当に彼らより崇高だと思うことのないように、皆さんが彼らにとっての救世主だと思い込まないように、気を付けてください。
貧乏や苦しみに満ちた生活を体験したことのない人は、それが一体どんなものかを永遠に理解することはできないということは知っておいてもらいたいと考えています。これまで一度も借金することが難しいという経験をしたことのない人は、他人に借金を申し入れる時の気持ちを永遠に理解することはできません。身体の不自由な子供を育てたことのない親は、身体の不自由な子供を育てる上で経験するさまざまな苦労や思いを本当の意味で感じることは永遠にできないでしょう。
人文・発展学院は、華々しい学科でもありませんが、我々には、ロマンあふれる感情と素朴な思想があります。同院の卒業生が、純真さと真実さを保ち、日々の仕事や生活において社会について考え、意義を追求し、常に自分の心の奥深くを見つめ、心が発する良き声に耳を傾けるよう、我々は切に願っています。
卒業生の皆さん、言葉には限りがありますが、気持ちは尽きることがありません。あなた方が、いつまでも、健康で、平穏で、楽しい人生を送るよう願っています。(編集KM)
「人民網日本語版」2019年6月28日