「もし北京大学で学ばなかったとしても、きっと豚肉もそこそこ売れて、何店舗か支店を出して、衣食住に困らず一生暮らしていけただろう。だが、今は業界をリードするブランドを作ることを目指しており、資本を上手く運用させようとしている。この業界に足を踏み入れた以上、この業界でしっかりやっていきたい。これこそ北京大学の精神だと言える。北京大は、私にオープンな環境を与え、私に様々なジャンルの本を読むよう導き、さまざまな視点による講座を受講することを叶えてくれた。起業を成功させるには、こうした立体的な知識の組立てが必要となる」とした。
〇彼の経た道
1985年、当時20歳だった農村出身の陸歩軒さんは、陝西省西安市長安区の全国大学統一入試の文系でトップという極めて優秀な成績を収め、北京大学中国語学部に入学した。4年間の大学生活を終え、彼は故郷の西安に戻り、破産寸前の長安県にあるディーゼル・エンジン部品工に配属された。だが、彼は1日も出勤することなく離職。その後、約10年間、内装や金の採掘、小さな店を開くといった仕事を転々とした。当時、生活は困窮し、借金は増えていくばかりだった。娘の誕生をきっかけに、彼は将来について改めて考えるようになった。
1999年、窮地に陥った陸さんは、豚肉を取り扱う肉屋を始めた。
陸さんが北京大学を卒業したことを知る人などいなかったため、他人には自分は学の無い人間だと言っていた。他の肉屋と彼が唯一異なるのは、彼がかけていた牛乳瓶の底のような厚い眼鏡。そこで陸さんは自分の肉屋に「眼鏡肉店」と名前を付けた。
2003年、陸さんが西安の街頭で肉を販売していることがメディアで取り上げられ、人々は彼のことを「北京大肉屋」と呼ぶようになった。翌2004年、陸さんは西安市長安区地方志弁公室で働き始めた。
2008年5月、陸さんは広東省広州で同じ北京大学出身者で「肉屋」である陳生さんと知り合った。
その後数年間、先輩である陳生さんは、繰り返し陸さんに広州で一緒に仕事をしようと誘った。陸さんは熟考を重ねた結果、ついに辞職することを決めた。2016年8月、陸さんは地方志弁公室の仕事を辞めて広州に移り住み、オンラインで豚肉販売業をスタートさせた。