最近、ソーシャルプラットフォーム各社が相次いで年間の利用報告書を発表している。映画鑑賞から音楽鑑賞まで、インターネットには人々の暮らしの痕跡がよりはっきりと残されており、過去1年間の喜怒哀楽もここからうかがえる。中央テレビニュースが伝えた。
我々がこうした「小確幸」 に感動していると、支付宝(アリペイ)の年間消費明細が届いた。
真夜中に歌を聴いた記録を見れば深い感慨を覚えるが、真夜中にお金を使った記録を見た多くネットユーザーは目の前が真っ暗になる。「お金を使ったみたいだけど、全然覚えていない。なんで覚えていないんだろう?」
支付宝の年間消費明細を見て「心の底から3つのことを疑問に思った」と自嘲する人もいる。「どうしてこんなにお金を持っていたのだろう?」、「これは全部自分が使った分なの?」、「何に使ったんだろう?」という疑問だ。
オンライン消費はオフライン消費よりも簡単なため、一種の感覚、あるいは錯覚、さらには幻覚が生じることになる。「このお金は本当に私のところから出ていったものなの?」
実はこれは経済学のレッスンだ。なぜオンライン消費はオフラインよりも簡単なのだろうか。
画面をちょっとなぞるか顔認証ですぐに決済ができ、お金は一瞬表示されて消える数字でしかなくなり、感情が揺さぶられることもなく、一体この消費行動が支出に見合ったものなのかどうかと考えることはほとんどない。価格を検討する時間は大幅に短縮され、衝動的な消費をする確率が大幅に上昇し、こうして自然とお金は多く出ていくようになる。
現代人にとって、高速で移りゆく社会がより多くの生活シーンを生み出し、こうしたシーンは時に非常に興味深い数字のゲームを現出させる。たとえばランチに1人前20元(1元は約15.6円)台から30元台のデリバリーを頼むとすれば、21元になる可能性も39元になる可能性もあり、数字に鈍感な人は、ランチの金額に応じて夕食の出費を適宜調節するということを意識しなくなるかもしれない。
また1回の食事で18元多めに使ったとすれば、21元の最低金額とあまり変わらなくなり、つまりは2倍の支出になる。オンラインではこのような念入りに設計された数字のワナに陥りやすい。899元と聞くと800元プラスアルファのように感じてしまい、実はあと1元で900元になることをみようとしない。オンライン消費が人々の数字に対する警戒感を解いてしまったということは認めざるを得ない。