日本の「鄙びた田舎」青森・秋田を訪ねて

人民網日本語版 2020年01月08日10:42

東京都市圏の人が青森県や秋田県といった「田舎」について語る時、しばしば彼の地の「方言」が話題になる。「何を言っているかわからない」というが、私からみるとそれほど問題ではない。なぜなら東京の人の話す日本語もほとんどわからないからだ。両県は日本の東北地方に属し、農業を主要産業とする。両県は確かに田舎というほかない。関東や関西などの都市部で交通機関をスムーズに乗り降りできる交通系ICカード「Suica」はここではまったく使えず、どこかに行こうと思ったら、切符を買うしかないからだ。(文:張豊・コラムニスト、中間層の暮らしウォッチャー。「中国新聞週刊」に掲載)

青森から電車に乗って小説家・太宰治の故郷を訪れるには、乗り換えが2回必要だ。車窓から見えるのは本物の農村風景で、川の流れは清らかで、鉄道の両側には何もなく、田畑は手入れが行き届いている。リンゴの木には実がたわわになり、その重みで枝は低く垂れ下がる。多くの木の下にはビニールシートのようなものが張られていて、実が落ちれば受け止めるようになっている。窓外には時折、アシやススキの群生が現れ、写真に収めるには絶好の眺めだ。

私が小さい頃に暮らした中国北方の農村がちょっとこんな感じだった。1980年代から1990年代にかけて、農村の川には水が滔々と流れ、出稼ぎラッシュが訪れる以前は、大勢の労働者が田畑で働き、わずかな土地もよく手入れがなされていた。しかしこうした美しい田園の風景と赤貧の暮らしはセットだった。冬になると、小麦粉を食べ続けることもできなかった。その後、大勢の人々が都市に働きに出るようになると、彼らは豊かになったが、農村も変化を余儀なくされ、川は枯れ果て、道のあちらこちらにビニール袋が捨てられるようになった。私たちはどうやら美しさと進歩・豊かさを一緒に実現することができなかったようだ。実に残念なことだ。

電車が五所川原駅に着くと、1両しかない小さな電車に乗り換えるのだが、困ったことにそれまで乗っていた列車がなぜか途中で5分間も停車したため、乗り換え時間は3分しかない。予定の電車には間に合いそうもなく、次の電車を1時間ほど待つしかないと思っていた私だったが、五所川原駅に着いて本当のサプライズが待っていた。なんと予定していた電車がそこに停車しており、乗務員が乗車口で私たちの到着を待っていてくれたのだ。

東京や大阪ならたった1人の乗客を待つ電車などあり得ず、定時運行が何よりも大事な第一原則となる。しかしここでは、数分の遅れを気にする人は誰もいない。この小さな電車にとって最も重要な任務は、私たち10人ほどの乗客を待つことのようだ。その後、停車したいくつかの小さな駅では、乗り込んで来る人はあまりいなかった。日本の「近代化」がまだ全国で完全に一致していないというなら、それはおそらく時間の観念についての不一致にほかならないだろう。

途中で通過した駅はどこも駅員がおらず、乗車券を売る人もなく、改札もない。電車に乗る人は乗車した後で乗務員から切符を買うというスタイルだ。

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