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殷墟博物館の宝「司母辛鼎」 その背後にある殷王朝の物語とは?

人民網日本語版 2022年07月22日13:21

 中国の「歴史文化名城」に指定されている河南省安陽市の市街地西北郊・殷都区に位置する殷墟は、洹河の南北の両岸にあり、殷王朝(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)後期の首都の遺構で、中国の歴史上、文献に記載があり、甲骨文字や考古学的によって実在が確認されている最古の首都の遺跡となっており、現在までにすでに3300年の歴史を経てきた。人民網が報じた。

殷墟宮殿宗廟遺跡景勝地は、殷墟宮殿宗廟区内にある世界文化遺産で、中国の考古学や甲骨文の発祥地となる。1973年以前に発掘された建築物53棟の土台は、考古学者によって「甲」、「乙」、「丙」に区分されている。「甲」に区分されているのは15棟の建築物の土台で、宮殿宗廟区内で最古で、使用時間が最も長い建築物となっている。殷王朝の宮室、寝居があったとされている。「乙」に区分されているのは21棟の建築物の土台で、殷王朝の先祖に対する祭祀を行う宗廟だったと見られている。そして「丙」に区分されているのは17棟の建築物の土台で、殷王朝の祭壇があったと見られている。現時点で、宮殿宗廟区では大型の版築の建築物約80棟の土台が発見されている。

1976年に考古学者によって発見された「婦好墓」には副葬品が大量に埋蔵されており、青銅器や玉器といった文化財1928点が出土している。うち、「司母辛鼎」は、殷墟博物館の「宝」とされており、被葬者の「辛」は、中国最古の女性将軍で、歴史上非常に名高い武丁の王后で、「婦好」と呼ばれていた。王后ながら、征伐に赴き、軍勢を率い、祭祀も執り行ったという伝奇的な女性だ。(編集KN)

「人民網日本語版」2022年7月22日

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