2018年12月、日本の菅義偉内閣官房長官(当時)は国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を発表した。日本メディアの報道によれば、2022年の日本の北海道での商業捕鯨はすでに始まっており、年内にミンククジラ約100頭を捕獲する予定という。日本がこれほど捕鯨にこだわり、国際ルールを押し切ってまで捕鯨を続けようとするのはなぜか。
理由の1つは、クジラには確かに大きな商業的価値があることだ。江戸時代の日本では、鯨油は照明用燃料になり、骨、ひげ、歯は髪をまとめる笄(こうがい)や櫛などの手工芸品に加工されて利用されていた。皮は糊の代わりになり、血は薬になり、砕いた骨は肥料になり、マッコウクジラの腸内に発生する凝固物は竜涎香という香料になった。石油が発見され広く用いられるようになる前は、鯨油は照明と工業に使われる重要な燃料であり、皮革工業に用いられるだけでなく、鋼鉄製造のための焼き戻しや潤滑剤などにも用いられてきた。鯨肉は日本の第二次世界大戦後の主要なたんぱく源で、この世代の日本人の成長に寄り添い、日本では鯨肉を食べる独特の文化が形成されていった。また捕鯨産業は昔からたくさんの働き口を生み出してきた。今ではクジラの商業的価値は昔には及ばないものの、相対的に資源の乏しい日本にとって、クジラは簡単には放棄できない重要な資源であり続けている。しかし中には、「日本は捕鯨を口実にして、世界で海と自然資源の探査活動を進めているのだ」と見る人もいる。
もう1つの理由は、日本文化の中で捕鯨が他国とは異なる意味を持つことだ。日本の各地で、捕鯨産業に携わる人を中心に、捕鯨の安全を祈り、クジラに感謝したりクジラを祭ったりする文化が生まれた。日本ではクジラは死んで人類に幸福をもたらすものと考えられており、「鯨一頭で七浦潤う」という言い伝えもある。クジラを一頭捕獲すれば、たくさんの漁村が恩恵を受けられるという意味だ。
クジラ自体の商業的価値がますます低下し、世界各国が生態環境保護と生物多様性の認識を徐々に深める今日にあっても、日本はいまだに商業捕鯨をやめようとしない。しかも「鯨一頭で七浦潤う」の観念もいまだに継承されている。こうしたことから考えて、捕鯨産業従事者やその支援者は自然を尊重し、自然に従い、自然を保護するということの意味を本当には理解していないのかもしれない。(編集KS)
「人民網日本語版」2022年11月16日