桜の木、宋代に中国から日本へ
武漢の桜の名所を訪れた記者は25日、武漢大キャンパス林・環境サービスセンターの黄徳明・主任、中国科学院武漢植物園の専門家・張忠慧氏、東湖風景区磨山管理処の高級技術師・張艶芳氏を個別に取材した。3人の専門家は「桜の起源は中国で、宋代(960-1279年)になってようやく日本に伝わった」と口を揃えた。長江日報が伝えた。
張忠慧氏は「日本国内でも権威ある桜の専門書『櫻大鑑』には、桜の原産は中国で、日本で名が知られるようになった、と明確に記されている。桜の最初の痕跡は現在のヒマラヤ山脈で、その後日本に渡り、独特の種の変化を遂げた。最初の桜は、山桜と野桜に代表される中国原産の桜。日本の桜の花はおおよそ中国の宋代の頃に栽培が始まり、当時も野生の中国の花だった。現地で代々改良栽培され進化した結果、現在の有名な日本の桜となった」と述べた。
中国の桜と日本の桜の最大の違いは、日本の桜の花びらは重なっているが、野桜、山桜ともに1枚ずつ。鑑賞には日本の桜は、より艶やかに咲き誇る。野桜、山桜は総じて淡泊な風情で、木の寿命も短い。もっとも野桜、山桜の花は20日以上咲き続け、日本の桜の花より1週間ほど長い。
桜は中国を起源とするにもかかわらず、どうして多くの人々が日本の象徴とみなすのか。これは「長い歴史の中で文化的違いによって生じた誤解」という。張艶芳氏によると、中国では歴史的に、桜は名花としてはそれほど知られていなかった。中国人が好むのは堂々として気品あふれる牡丹、高尚潔白な梅だが、日本人の目には清純極まりなく散り落ちても土に汚れない桜の気質が、日本人の武士道精神にぴったりと調和した。
中国の桜は日本から伝わったとの説がよく記されているが、「これは誤り」と張艶芳氏。中国の古典詩文には桜の描写が見られる。白居易の詩には「小園に紅桜の木を植えた。枝花を囲んで遊ぶ」とある。桜の花が咲き誇った様子が描かれたものだ。明代・于若瀛の詩にも「三月の雨音は小さく、桜花は杏の花に似ている」とある。桜は日本の「国の花」とみなされるようになった後、花見文化が豊かに育まれ、日本文化の象徴として中国に伝えられるようになった。(編集HT)
「人民網日本語版」2013年3月27日