日本サッカーに学べ 「ドーハの悲劇」後に歩んだ道=中国紙
中国メディアが見る日本日本、サッカーW杯出場決定 豪と引き分け
サッカー日本代表は4日、ホームの埼玉スタジアムで行われたアジア最終予選のオーストラリア代表戦で、終了間際に本田圭佑選手がPKを決め1-1と引き分け、世界最速で2014年ワールドカップ(W杯)・ブラジル大会の出場を決めた。「新京報」が伝えた。
日本代表の選手たちはサッカーの規律を守り、むやみに規則を破ることなく、真剣にサッカーに取り組んできたからこそ、現在の成功を手に入れた。中国のサッカーも日本を学び、日本が「ドーハの悲劇」を味わった後に何をしてきたかを詳細に研究する必要がある。
1993年、アジア最終予選の最終試合を迎えたサッカー日本代表は、イラクに勝てばワールドカップに進出が決まるという、あと一歩のところまで来ていた。しかし、惜しくも試合終了間際に2-2の引き分けとなり、選手たちは泣きながら帰国することになった。日本のメディアはこの回の挫折のことを「ドーハの悲劇」と呼ぶようになった。
日本サッカー界はこの挫折に屈することなく、いち早く敗戦の悔しさから抜け出した。苦心してJリーグを運営し、全力で若者の才能を育成するとともに、積極的にワールドカップを招致する計画をスタートさせた。そして、4年間という長くはない期間の中で、多くの優秀なサッカー選手を育成・輩出した。最も重要なことは、日本のサッカー人たちはサッカーの規律を守り、物事に真剣に取り組み、人として誠実に行動し、ささいなミスを見逃さず、むやみに規則を破るようなことをしないということだ。
誰であろうと、こうと決めたら愚直なまでにまっすぐに突き進むというのが、日本のサッカー人たちの骨の髄まで染み付いた特徴であり、これには融通が利かないとの指摘もあるが、この執着や頑固さこそが日本のサッカーを成功に向かわせた。1998年のワールドカップ・フランス大会では、日本代表はもうサッカーファンたちを失望させることはなく、フランス大会の切符を見事に手に入れた。、この年から15年間、サッカー日本代表は毎回ワールドカップ出場を果たし、いまやワールドカップの常連となった。アジア全体を見ても、日本サッカーがアジア王者の地位を占めていることは揺るぎようもない事実だ。
一方、サッカー日本代表がワールドカップ進出を決めて喜んでいる頃、サッカー中国代表は内蒙古(モンゴル)フフホトのホテルで窓の外に降る大雨を眺めていた。中国代表は翌日ウズベキスタン戦を控えていたが、この試合はワールドカップ進出を目指しているウズベキスタン代表にとっての強化試合でしかなかった。早々に敗退が決まっていた中国代表は強化試合の相手という立場で、5年後の未来を夢見るしかなかった。