中国の軍事力が強大化するほどアジア太平洋の平和に希望が持てる (2)
国家間の平和は力の均衡を基盤にして築かれるものだ。力があってこそ善意を語る資格があり、軍事力があってこそ平和が可能となる。冷戦時代はまさに米ソの軍事力が均衡していたからこそ、双方が抑制を身につけたのであり、「冷戦」が「熱戦」に変化しなかったのだ。そして冷戦が終結するや様々な地域衝突や局地戦争が相次ぐようになった。軍備を削減して相手の同情に訴えても、相手の殺意と貪欲さをかき立てるだけなのだ。その反対に、十分な軍事的準備は相手をいろいろと慎重にさせるため、平和の確率を高めるのである。
中国にとって最大の目標は民族の復興という「中国の夢」の実現であり、内部の現代化には安定した平和な外部環境が必要だ。だが「樹静かならんと欲すれども風止まず」で、米国は中国の台頭に備えるために戦略のアジアシフトを加速しており、中国周辺の安全保障環境は日増しに複雑化し、戦争の暗い影が日増しに近づいてきている。既存の大国と新興の大国との間のこうした安全保障面の摩擦が構造的なものであり、回避も克服も不可能で、できるかぎり管理・コントロールすることしかできないのは明らかだ。
毛沢東氏はかつて「闘争によって団結を図れば団結は存し、妥協によって団結を図れば団結は亡ぶ」と指摘した。ニクソン元大統領も「侵略行為を一度黙認すれば、別の侵略を引き起こすことになるだろう」と述べた。あるレベルで迅速に反応すれば、より高いレベルでのより大きな反応を回避できる。簡単に言えば、戦備を強化し、果敢に闘争し、闘争に長じなければならないのだ。
「他者を害する心はあってはならないが、他者への警戒心はなくてはならない」。安全保障問題において中国は自らに頼るほかない。相手の「善意」に希望を託すのは不可能だ。とりわけ外部からの挑発が絶えず、中国東部の安全保障上の脅威が日増しに増大する中、中国の軍事レベル向上のニュースがなおさらに時宜に適ったものであることは明らかだ。中国の軍事力が強大化すればするほど、アジア太平洋の平和と安定の維持に希望が持てるのだ。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年1月30日