日本はどうやって「ゴミ戦争」に打ち勝ったか? (2)

人民網日本語版 2019年07月09日09:44
日本はどうやって「ゴミ戦争」に打ち勝ったか?

ルールを守らずに捨てられたゴミは、作業員が回収しないだけでなく、ゴミ袋や家の壁に警告の紙が貼られる。体裁を気にする日本人にとって、このような対応は一種の見せしめにほかならず、隣人たちの前で顔を上げられなくなる。

筆者が04年に東京で働き始めた頃、プラスチック製の袋は不燃ゴミだったが、焼却技術が向上して、08年から可燃ゴミになった。しかし全体としていえるのは、日本のゴミ分類はますます細分化しているということだ。多くの地域で分類が増加している。

高度成長期、日本の家庭ゴミは主に燃えるかどうかで可燃ゴミと不燃ゴミに分けられていた。1990年代になると、リサイクルの重要性の認識、ゴミによる環境汚染、埋め立て地の減少に伴い、ゴミ減量がますます重視されるようになり、古新聞・古雑誌、プラスチック類、使用済み電池・蛍光管などが分類の対象になった。

東京のような大都市だけでなく、前出の水俣市のような小都市、上勝町のような農村地域でも、ゴミ分別は同じように整然と秩序をもって行われている。ゴミ分別は今や日本の全国的な取り組みだといえる。

ゴミ分別は省エネ意識や環境保護意識と密接なつながりがある。日本の教育では小さい頃から省エネについて学び、小学校になるとゴミ分別の知識も学ぶ。ゴミ収集場のルールに従って分類されていないゴミの写真を撮り、小学校で「反面教師」として使用されることもある。小さい時からゴミ分別意識を醸成している日本人にはゴミを持ち帰る習慣があり、大通りから路地裏まで、自動販売機の横に缶やペットボトルを分別回収するためのゴミ箱はあるが、それ以外はどこにもゴミ箱を見かけない。

親は子どもにとって最初の先生であり、家庭での教育が極めて重要だ。親がルールを守ってゴミを分別していれば、子どもにとってよいお手本になる。

筆者が三重県の熊野古道に行った時、おじいさんが孫を連れてたばこの吸い殻を拾っている光景を目にしたことがある。「こんなことで日本はどうなるのか」と孫に戒めるように語っていた。長野県の自動車学校に通っていた時には、一緒に勉強していた日本人の青年が田んぼに転がったペットボトルを見るなり、「こんなことで日本はどうなってしまうのか」とため息をついていた。ゴミを見て国の行く末を考える意識の高さは、日本人が面倒がらずにゴミを分別する一種の原動力なのかもしれない。(編集KS)

「人民網日本語版」2019年7月9日

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