日本はどうやって「ゴミ戦争」に打ち勝ったか?

人民網日本語版 2019年07月09日09:44
日本はどうやって「ゴミ戦争」に打ち勝ったか?

日本の東京では高くそびえ立つ円柱や四角柱の煙突をよく見かける。清掃工場(ゴミ処理場)のシンボル的建築物で、東京23区にはすべてゴミ処理場が1-2ヶ所ある。ゴミ処理場は資源回収にとって重要な役割を果たすだけでなく、ゴミ焼却時の熱で発電したり、温水を提供したりすることもできる。もちろん、最も重要な目的はゴミの削減で、これはきれいで清潔な都市環境を確保する上で重要な役割を果たしている。そしてその前提となるのが、ゴミの非常に細かな分別回収システムだ。新華網が伝えた。

日本のゴミ処理の道のりは決して順調ではなかった。1950年代になり、高度成長期に入ると、生活スタイルは大量生産、大量消費、大量廃棄へと変わり、最終的にゴミ埋め立て地は足りなくなり、ゴミ問題が深刻化し、衝突もたびたび生じるようになって、「ゴミ戦争」が勃発した。中でも「東京ゴミ戦争」が最も有名だ。

高度成長期に入りゴミ問題が深刻化したことから、日本の国会は1970年12月25日、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃棄物処理法)」を制定し、その後、複数回の改正が行われた。この法律の狙いは廃棄物の排出を抑制し、廃棄物を適切に分類、保管、収集、輸送、再生、処理し、清潔な生活環境を維持して、生活環境を改善し公衆衛生を向上させることにある。

2013年に熊本県水俣市の環境クリーンセンターを取材した。ここでは市民対象のゴミ分別説明会が常時開催されており、講演台の前には分類サンプルがずらりと並んでいた。ケーブル、古新聞、古着、小型家電、ミネラルウォーターのボトル、アルミ缶、スチール缶など、全部で24分類もあった。印象深かったのはガラスの瓶が透明、黒、茶色、緑、水色など色別に分けられていたことだ。

徳島県上勝町はさらにその上をいき、現在は45分類で日本で一番多い。同町は03年に日本全国に先駆けて「ごみゼロ(ゼロ・ウェイスト)宣言」をし、20年をめどにゴミをゼロにすることを目標に掲げた。同町にはゴミ収集車がなく、55ヶ所のコミュニティに暮らす787世帯の1552人(17年10月1日現在)が自分で仕分けして自分でごみステーションに持ち込まなければならない。細かい分類により、リサイクル率は約80%に達したという。

初めて日本に来て働く人は、まずゴミの分別を学ばなければならない。ちゃんと学ばないとコミュニティのゴミ処理に迷惑をかけることになる。ルールに従って分別せずにゴミを捨てると、ゴミ収集車の作業員に回収してもらえず、ゴミ収集場に置きっ放しになり景観を損ねる。そういうわけで、同僚に分類の仕方をしっかり教えてもらう必要がある。最初は確かに面倒くさく感じるが、慣れてくると生活の一部のようになる。中国に帰れば分類せずにすみ、何でも一緒くたにゴミ箱に放り込めばよく、楽になるはずだが、ある種の「罪悪感」を感じるようになる。

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