「本当の自分」はどこにいるのか?

--平野啓一郎著「私とは何か『個人』から『分人』へ」

人民網日本語版 2019年09月04日09:00

「本書の目的は、人間の基本単位を考え直すことである」。

これは平野啓一郎氏の新刊「私とは何か 『個人』から『分人』へ」の書き出しだ。

新刊といいつつ、実のところ本書は新しく書かれたものではなく、2012年に日本で出版された作品だ。しかし今年8月になってようやく中国語訳が出版された。翻訳版と原作で出版の間隔があったことで、中国の読者の間では作品を読むタイミングの「循環流」現象が起きている。たとえば、今「マチネの終わりに」など「私とは何か」より後に書かれた小説に熱中している人が、読了後に「私とは何か」を読むと、まるでこの作品が後の作品の創作要綱であるかのように感じられ、平野氏が小説を執筆する時に早くから「胸中に成算あり」だったことが分かるかもしれない。

この本を書いたきっかけについて、平野氏は本書のあとがきで読者の言葉を引用し、こう説明している。

「この思想を人に聞いてもらおうと思ったけれど、周りは小説を読まない人ばかりだった」。

自分を心から知ってくれる親友は求めがたい。これは読者にとっての悩みであるだけでなく、平野氏自身にもひどく寂しい思いを抱かせ、ひいては現代の作家たちも直面する普遍的なジレンマでもある。平野氏は、いったいどんな形式であれば読者に小説を読んでもらえるのか、特に小説が描く社会問題に注目してもらえるのかを考え始めた。そうして、「私とは何か」が生まれた。

本書をより平易で分かりやすくするために、平野氏は難解な専門用語を避けている。平野氏がより注目したのは、一人ひとりが、生活を送っている普通の人一人ひとりがどのように苦しみから逃れ、より健康的に楽しく生きられるか、ということだったのではないだろうか。

平野氏の作品を1作あるいはインタビューを1本読んだり、または一度でも会ったことがあり、注意深い人でありさえすれば、平野氏が言葉に対して極めて鋭敏な洞察力を持っていることに容易に気づくだろう。「分人」の概念は誰もがよく耳にし詳しく知っている「individual」という単語から来ている。この英単語の語源を明らかにするために、平野氏は各国の言語学の専門書を参考にした。本作を読む過程で、読者は「平野氏は研究の仕方を手を取るように教えてくれている!」と錯覚を覚えるかもしれない。

平野氏はなぜ人間の基本単位を考え直そうとしたのか?答えは実は読者一人ひとりの心の中にある。あなたは孤独で、矛盾した存在だろうか?ひたすら求め続けている自分は「本当の自分」なのか?人との関係性の中のあなたとは誰なのか?では一人でいる時のあなたは誰なのか?

平野氏の考えでは、人は誰でも孤独を感じ、自分は矛盾した存在だと感じている。伝統的観念(特に宗教的な求心力)によって、人々は「揺らぐことのない、安定して変わることのない自分を見つけたい。流されることのない自分の本質を見つけなければ。自分を確立しなければ」と考えることを余儀なくされている。これは「真でなければ偽」の二元対立をあらかじめ設定しているのではないか?人は「本当の自分」以外はすべて虚偽の人格であり、やってはいけないことばかりだと焦り、不安になることを禁じ得ない。そして探し続けるのだ。「本当の自分」はいったいどこにいるのだろう? と。

これについて平野氏は、「たった一つの『本当の自分』なんて存在しない!そんな考え方は人を意味もなく苦しめるだけだ」と断言する。

人との関係性の中の自分、一人でいる時の自分、子供、父母、同級生、会社員、恋人などとしての自分は、どれもすべて本当の自分だ。「人間は他者との関係の中で生じた分人の集合体」で、「個性とは分人の構成比率」であり、私たちはまさに「複数の分人の形で生きることで精神的バランスを保っている」のだ。

これは独創的な見解と言える。「個人主義」についてはよく知られている。「個人」発展史を形作る宗教理念と理性主義はすでに時代の文化の深層にまで溶け込んでいるからだ。「個人主義」への挑戦は、間違いなく「伝統的な導き」に対する宣戦布告である。

今年8月15日に上海国際文学週で行われた「自己認識とアイデンティティのジレンマ」に関する対談で、平野氏は「もし職場で挫折に遭っても、落胆しないでほしい。それはあなたのごく一部の分人に過ぎず、それですべての自分を否定する必要は全くないんだと想像してみてほしい。もしかしたら、あなたにとっては家庭や他の部分での分人のほうが比率が高いかもしれない。自分がより好きな部分の分人を探し、調整し、認識し、そしてその分人を立脚点として、ほかの分人の構成比率を調整してほしい。重要なのは、常に自分の分人の全体バランスを見つめることだ」と例を挙げて説明した。

「私とは何か」は小説ではない。畳みかけるような見事な話の展開があるわけではないが、この作品で平野氏は、建築基礎(思想の土台)、骨組み(理論構成)、レンガ(思考力と思考方法)、外壁(具体事例と材料)を少しずつ整え、「思想の高層建築物」を築き上げた。平野氏が真に読者を引き付ける点を深く考察するならば、あるいは平野氏が将来同世代の作家の中からさらに抜きんでていくと予断するならば、その足掛かりは平野氏が「分人主義」という「高層建築物」を構想したこの青写真の中にあるのかもしれない。

本書を読んで、本書を一つの分人と捉え、「対話」をすることで、自分の新しい分人を創り出してみてはどうだろうか。

(文/北京師範大学文学院博士·莫亜萍。本文内容は一部省略)

「人民網日本語版」2019年9月4日 

  

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