21世紀にノーベル賞を受賞した日本人は19人。ほぼ毎年日本人1人が受賞している計算になり、価値の高い物理学賞や化学賞に多い。北京商報が報じた。
ノーベル賞を受賞する日本人が多いため、それを羨望の眼差しで眺め、好奇心を抱いている中国人も多い。中国は今、日本から学ぶことで、自分を磨き、成長しなければならない。
日本人が次々にノーベル賞を受賞している理由について、「民族性」や「文化」を挙げる人も多いかもしれないが、実際はこの見方は逆だと言える。日本が成功したからこそ、その原因を日本の民族的特質に帰したのだ。しかし、単に日本人が慎み深く、勤勉で、恩や義理を大切にする点だけに目を留めるなら、それは上辺だけのものしか見ていないことになる。
端的に言えば、全ては経済と関係があるといっても過言ではないだろう。
ノーベル賞が反映しているのは、数十年かけて積み重ねられた歴史的貢献であって、目の前にある成果ではない。日本人が近年、続々とノーベル賞を受賞しているのは、1970-80年代に経済、社会が繁栄し、その後80-90年代にかけて科学研究に膨大な資金が投じられたからだ。
日本の経済は戦後に成長し始め、50-60年代の高度経済成長期にしっかりとした基礎が固められた。70年代にはオイルショックがあり、日本は経済の質の高い発展へと舵をきった。70年代、日本の研究開発費が国民総所得に占める割合は常に2%を超え、右肩上がりで増えた。そして、失われた20年の時でさえ、研究開発費は常に3%以上を維持した。
その他、教育経費が国民総所得に占める割合も上昇の一途をたどっている。科学教育の面でも、金がなければそれをやり遂げることはできない。経済が発展するにつれて、日本の科学研究への資金投入や教育への資金投入は強化され続け、ヒューマン・キャピタルのボーナスが積み上げられ、その成果が出るようになっている。
ただ、金があれば何でもできるわけではなく、制度、市場、企業、大学がうまく組み合わさって化学反応を起こさなければならない。経済発展が一定の段階に達すると、人材や技術が積み重なって厚みを持つようになり、ノーベル賞を受賞者が出る確率も高くなる。人材の数が多く、うまく化学反応が起きていれば受賞者は多くなり、その逆であれば受賞者は少なくなる。
しかし、日本人が続々とノーベル賞を受賞しているものの、日本では科学教育が危機に瀕している。その原因は他でもなく、経済成長の鈍化が続いているからで、科学研究へ投じられる資金にも影響が出ている。ノーベル賞受賞者を多数輩出している名古屋大学、東京大学、京都大学は近年、世界大学ランキングでの順位を落としており、日本の高等教育に以前ほどの活気は見られなくなっている。政府の教育経費が国内総生産(GDP)に占める割合は約3%にまで落ち込み、中国を下回るようになっている。2018年、日本政府が発表した「科学技術白書」は、「日本のテクノロジーイノベーション能力は衰退している」と明確に指摘している。研究資金、論文の数、論文の被引用回数はいずれも減少している。日本人の数十年後のノーベル賞受賞に影響が出ることは間違いないだろう。
発展は一番重要なことで、改革開放(1978年)から約40年が経ち、中国のGDPは約100兆元(1元は約15.28円)に達するようになり、研究開発費や教育に投じられる資金も大幅に増加している。
中国国家統計局、科学技術部(省)、財政部がこのほど発表した「2018年全国テクノロジー経費投入統計公報」によると、同年、中国全土の研究開発(R&D)費は前年比11.8%増の1兆9677億9000万元に達し、3年連続の二桁成長となった。研究開発費の投入強度(GDPに占める割合)は2.19%と、5年連続で2%を超えている。13年から、中国の研究開発費は世界2位の座を保っている。また、中国の論文数、特許取得数も上位に位置している。
このように膨大な資金が投じられるようになっており、さらに、強力な国力のサポートの下、中国は既にテクノロジー大国の仲間入りを果たしている。ただ、中国は「テクノロジー大国」であるものの、「テクノロジー強国」にはまだなっておらず、科学者・銭学森がかつて「中国の学校はなぜ傑出した人材を輩出できないのか」と問いかけたように、産学研の断片化、コア技術の面での足かせなど、解決すべき課題も山積みだ。
十数年後、ノーベル賞を受賞する中国人が表れるようになるのは間違いないだろうが、たくさんの中国人が受賞できるようになるかは、前述のような化学反応を起こせるかにかかっている。(編集KN)
「人民網日本語版」2019年10月14日