背の高いW・デイビット・マルクスさんがソファーに座り、無意識に長い足を折り曲げると、ショート丈のチノパン、光沢ある褐色のローファーがよく見えるようになり、暗褐色の花柄ジャケットととてもよく合っていた。日本で長年暮らしてきたこの米国の文化記者は、いつも隙のないコーディネートをするようになり、米国人にはない洗練さを見せていた。第一財経網が伝えた。
マルクスさんがハーバード大学で学んでいた頃、これはさえない教授はいつも着ていたやぼったい服で、母親に連れられて教会に行くときの服と同じだった。当時、反抗心あふれるマルクスさんが好んで着ていたのはファッションブランドのシュプリームで、日本製のジーンズをはき、ア・ベイシング・エイプの迷彩バッグを背負い、今、街を歩いているおしゃれな人と同じようなファッションをしていた。「今ではシュプリームやア・ベイシング・エイプを着ていると、みんなにすごくおしゃれだと思われるが、当時は誰にも理解されなかった」という。
マルクスさんの日本のストリートファッションへの興味は、1990年代から流行が始まったJ-popに端を発する。J-popに夢中になった17歳のマルクスさんは、日本の田舎の町に3週間ホームスティして交流し、この経験が彼の人生行路を決定づけた。米国南部の知識人の家庭で育ったマルクスさんは、毎日MTVで音楽を聴き、米国が世界で一番かっこいい国であり、東欧とソ連の激変は彼の国の人々が米国のジーンズやマイケル・ジャクソンにあこがれていたから起きたのだと無邪気に考えていた。
日本の慶応義塾大学商学研究科の修士課程を終えると、マルクスさんは日本に移住し、雑誌の「ザ・ニューヨーカー」、「GQ」、「ポパイ」などに文章を書きながら、街を歩いて流行文化の調査研究にいそしんだ。すると、「米国では数十年かかって金曜日のカジュアルデーが1週間すべて軽装のカジュアルウィークに変わっていったが、日本人はなんと米国のファッションの伝統を守っていた。これはアラブ人が欧州の暗黒時代にアリストテレスの物理学を守り抜いたのと同じようだ」ということを発見して、非常に驚いた。
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