17年前、北京市でSARSの流行が明らかになったあの日、私は中国人の夫と会社帰りに近所のスーパーで買い物をしていた。普段は商品がぎっしりと積まれている棚は一部の調味料などを除きほとんど空っぽで、家に常備していた塩が無くなって買いに行った私たちは暢気にも「今日は棚卸しの日だったのかな」などと話しながら塩一袋だけを手にレジの長い列に並んでいた。そして家に着く直前に夫の姉から電話が入り、初めて北京市がどうやら大変な事態になっていることを知った。3月くらいから実家や当時働いていた日系企業の本社からはすでにSARSに関する連絡が入っていたが、そのたびに、「北京にはマスクをしている人なんて一人もいない」などと笑って答えていたのが嘘のように、分厚いガーゼのマスクをする人が見られるようになった。会社と住んでいた場所が外国人の少ないエリアだったということもあり、防塵マスクをする人などほとんどおらず、本社が送ってくれた防塵マスクをしていると羨望の目で見られたものだ。数日すると自宅近くに何軒もあった八百屋は全部閉まってしまった。外省から野菜を売りに来ていたトラックが北京に入れなくなったからだ。スーパーに売っているのはくたびれた野菜ばかり。勤務先の入っていたビルで感染者が出たことで、ビルも封鎖されてしまい、自宅待機となり、できることと言えば毎日発表される感染者数などのデータを本社に送ることだけだった。
17年後の今年、新型コロナウイルスのニュースが入り始めた段階で、思わずSARSを思い出した北京に長年滞在している日本人は少なくなかったはずだ。私も今回は早い段階からそれなりにネット通販などで必要と思われる物品を購入していたため、家族全員がしばらくは持ちこたえられそうな装備は確保することができた。だからという訳ではないが、今のところはそれほど不安には感じていない。17年前と異なり、近所のスーパーには変わらず新鮮な野菜が並んでいるし、マスクや消毒関連の商品以外は今のところ問題なく手に入っている。そして中国政府が春節休暇の延長や在宅勤務の推奨などを行ってくれたことで、当面は自宅に引きこもっていられる。冬休み中の子供たちも、元々宿題が多すぎてどこに行く計画も立てていなかったことが幸いした。娘の冬期講習もオンライン授業に切り替わっている。これらの措置は非常にありがたかった。家を出られない不便もあるが、少なくとも感染するリスクは格段に減るからだ。
またSARSだけでなく、PM2.5も経験してきた今の北京の人々は、外出の自粛やマスクの着用、消毒などに関してずっと知識も豊富に理性的になっていると思う。デマや様々な「処方箋」がネットで流れてくるのは相変わらずだが、同時にオレンジの皮をマスク代わりにしてみたり、引きこもりを揶揄したネタ動画や外出禁止を呼び掛ける面白スローガンなどを目にするにつけ、中国人のたくましさに改めて感心した。
今はただ武漢に住んでいる私の大切な中国の友人とその家族、そして武漢の人々すべてが無事にこの災いを乗り越えて欲しいと祈るのみだ。(文・玄番登史江)
「人民網日本語版」2020年2月3日