アン・リー監督と莫言氏 世界で認められる共通点 (2)
2人の成長過程を見ると、知識層の道を歩んできたアン・リー監督に対し、莫言氏は大衆路線を歩んできた。たどった道は異なるが、ここに至るまでに、2人とも大変な苦労を経験している。莫言氏は経済的・社会的地位の低さによる差別に苦しんできた。それに対し、アン・リー監督は生存の危機に至らないまでも、かつては「夫としてのプライド」を失い、専業主夫として6年間も妻に食べさせてもらっていた。
成功に至るまでの道のりに苦労や困難は付きものだ。しかし、アン・リー監督と莫言氏はいずれも、栄誉や辱めを受けようとも冷静に対処する温和さや純朴さを持ち合わせている。現在の中国の娯楽・文化圏では非常に珍しい特質といえる。台湾の著名女流作家の竜慶台氏は「アン・リー監督の瞳は小鹿のように純真で、優しく、聡明だ」と表現し、台湾の政治家・作家の陳文茜氏はアン・リー監督について、「とても謙虚で腰が低く、人の心を見透かしている」と形容している。
莫言氏も非常に穏やかな人だ。口数は多くなく、身に付けるものも素朴で、非常に控え目。ノーベル文学賞を受賞する前夜、あまり騒がれたくないという理由で、メディアに対して口を閉ざした。取り囲むメディアの記者を前に、少し慌てたように「下準備をしっかりしてから来てください」と言いながら、同時に記者たちに水餃子を振舞った。
しかし、穏やかな人というのは、実は冒険好きだ。これはアン・リー監督と莫言氏の創作における共通点でもある。監督デビュー作「推手」(91)から「恋人たちの食卓」(94)、「いつか晴れた日に」(95)「ハルク」(03)「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」(12) に至るまで、アン・リー監督はさまざまなテーマとジャンルの間を縦横無尽に駆け巡ってきた。自身でも固定された状態が好きでなく、グレーゾーンが好きだと語っている。莫言氏は強烈で個性的な色彩と、殺傷力を持つ言葉によって、中国でも数少ない冒険的な作家だと称されている。
文学と映画の上では、冒険は、それ自体にストーリー性が備わっている。アン・リー監督も莫言氏も類まれなるストーリーテラーだ。ストーリーを語るプロセスの中で、二人ともすでに世界を超越している。単にアン・リー監督が超越したのは東方文化と西洋文化の壁であり、莫言氏が超越したのは言葉の翻訳の壁という違いに過ぎない。
アン・リー監督が最終的に米国の価値体系に基づく大衆文化の賞を獲得したのに対し、莫言氏は欧州の価値体系に基づくエリート文化から認められた。エリート層の道を歩んできたアン・リー監督の映画「ライフ・オブ・パイ」と大衆層の道を歩んできた莫言氏の小説「蛙」は、多元的な意義において、西洋の知識層文化と大衆文化が互いに引かれ合って完成されたものだ。2人は、世界進出を果たした中国文化の2つの縮図であり、東方と西洋という2つの巨大文化圏に挟まれ、時に融合し、時に対抗し、もがきながら自らの運命を模索している。
アン・リー監督の映画を見れば見るほど、その能力について形容するべき言葉を失う。時に東方的だったり西洋的だったり、商業的だったり文芸的だったり、緻密だったりシンプルだったりと、まるでそれぞれが少しづつあてはまるかのような多面性を持つ。それに反して、莫言氏の複雑性は個々の作品に表れており、全体的なスタイルは安定した東洋式、ひいては東洋の中でも最も泥臭い部分に属する。
2人の成功を中国文化による西洋文化の征服ととらえる人もいるが、実際には、欧米文化からの魅惑に富んだ挑戦が中国文化の再活性化につながることを期待する冷静な声の方が多数を占めている。(編集MZ)
「人民網日本語版」2013年3月4日