孔子と孔子廟の日本での特殊な地位 (2)
中国メディアが見る日本 祭祀の面では一部の孔子廟では「釈奠」礼を行うものや「釈菜」礼を行うものがあり、春に行うものや秋に行うもの、春と秋の2回行うもの、孔子の誕生日に行うものなど様々だ。祭祀の手順としては、大部分が「三献礼」を採用しているものの、複雑なものは90以上の段階を持つのに対し、簡単なものは10数の段階しかない。衣装の面では明代の儒服を着るもの、現地の古代の服装のもの、日本の神道の服装のもの、現代の服装のものもある。孔子廟が日本でどれほど現地に入り込み、強い生命力と大きな包容力を備えているかがわかる。
廟と学習が一体化 重点的に保護
日本では孔子を紹介する際、「道徳と学問の神」と呼ぶ。日本の明治維新以前、儒学は一貫して日本社会の思想と道徳の基礎で、孔子廟も最高の地位に位置づけられていた。後に影響力は低下したものの、現在でも日本には多くの孔子廟が存在し、また多くの儒学思想や漢学研究専門の多くの学者がいる。
日本の現存する孔子廟の多くは廟と学習が一体化しており、自身の儒学研究機関や研究者を具えている。例えば湯島聖堂の「斯文会」は定期的に「論語」や「易経」、「老子」、「孟子」といった中国古代の思想・文化の講座を開いており、これらはいずれも講演者に深い中国伝統文化の蓄積を求めるものだ。記者が最近多久聖廟の「釈菜」式を見学した際、孔子を祭る祝詞が中国語と日本語で書かれていただけでなく、日本全国の儒学者が「釈菜」のために書いた詩も装丁されて本になっており、またそれらの詩はすべて漢字で書かれ韻などもきちんと踏まれたものだった。
日本では政府も孔子廟の保護を重視し、多くの孔子廟は国宝や重要文化財に指定されている。例えば、湯島聖堂は1922年に国家史跡に、多久聖廟は1921年に国家史跡に指定されており、廟内の恭安殿と孔子聖?はそれぞれ1950年と1957年に国の重要文化財に指定されている。足利学校は1921年に国家史跡に指定され、学校内の「文選」や「周易注疏」といった大量の中国古文書籍は「国宝」や「国の重要文化財」になっている。1670年に建設された旧閑谷学校も国家史跡で、その講堂は「国宝」と見なされ、聖廟等の建築物も国の重要文化財に指定されている。
孔子は日本の国学思想の基礎と見なされており、日本の小中学生は現在でも「論語」や「詩経」、「文選」、「唐詩選」などの中国古代の思想や文化を学び、また関連の試験も受けている。日本民衆は孔子廟に対して非常に敬虔な気持ちを持ち、毎年春の入試前には多くの学生や保護者が孔子廟を参拝に訪れ、理想の学校に入れるように祈るという。(編集YH)
「人民網日本語版」2013年12月18日