孔子と孔子廟の日本での特殊な地位
中国メディアが見る日本 ある国が他国の思想家のために廟を建て、また国学の基礎としていることは、孔子が日本に与えた影響の大きさを物語るものだ。取材により、日本の孔子廟は名称や建築、祭祀の流れなどで大きな違いがあるが、孔子に対する敬虔な心と儒学や中国古代の思想に対する熱意は相通じるものであることが明らかになった。参考消息が伝えた。
名称は様々 郷に入りては郷に従え
日本・長崎の孔子廟が行った調査によると、日本全国には14カ所の孔子廟が現存するという。有名なのは東京都文京区の湯島聖堂、栃木県の足利学校、佐賀県多久市の多久聖廟、長崎県の長崎孔子廟、岡山県の旧閑谷学校、沖縄県那霸市の久米至聖廟、福島県会津若松市の会津藩校日新館などがある。
日本の孔子廟の多くは江戸時代以降に建てられたもので、最も古い孔子廟の足利学校は西暦の9世紀に建てられている。そのためか、日本の孔子廟の配置や建築スタイル、孔子尊像などはそれぞれ異なっている。ほとんど全ての孔子廟で中国の建築の面影や要素を見ることができるが、逆に日本の建築要素や理解も融合している。