歴史を認めずに、どうして「普通の国」を語れようか (2)
日本は平和憲法に守られて、戦争が日本国民に与えた傷を癒し、高度経済成長を遂げ、軍事力を強大化し続け、アジアの大国、強国となった。明治維新後の日本の歴史が歪んだものだったとするなら、第2次大戦後の日本の発展も歪んだものだ。日本は「サンフランシスコ講和条約」を締結すれば、国際社会に融け込み、「普通の国」になれると考えた。だが第2次大戦の犯罪行為を徹底的に清算しなかったため、第2次大戦時の犯罪者が政府のポストにつき、内閣入りすらした。彼らが第2次大戦の侵略の歴史について正しい認識を持たず、戦争犯罪行為(南京大虐殺や慰安婦を含む)を認めようとしないことは、日本の新しい世代の歴史認識に影響を与えたのみならず、当時の歴史と日本史全体とを断絶させた。好き勝手に議論できる歴史にしようとの企てだ。
今、安倍政権と日本右翼は第2次大戦の侵略の歴史を改めて否認し、憲法改正と自衛隊の国防軍化を騒ぎ立て、国の交戦権を追求している。その戦略的野心は明々白々であり、周辺国の強い警戒を招くのは必至である。歴史は鏡だ。自らの歴史を認めずに、どうして未来を語れようか。自らの過ちを認めずに、どうして身を修め、国を立てられようか。自らの侵略の歴史を認めなければ、かつての道を再び歩み、前轍を踏むことは免れがたい。このような国が普通の国なのか?日本の一部メディアですら、このような国は不健全な国だと考えている。日本に深刻に傷つけられたアジア諸国の目には、日本はなおさらに信用できなく映る。
米国の人類学者、ルース・ベネディクトは1940年代、日本人の矛盾した性格についてこう論じた。「好戦的であると同時に温和、尚武であると同時に美を愛する、横暴であると同時に優雅、型どおりであると同時に適応性に富む、従順であると同時に支配されることに甘んじず、忠誠を尽くすと同時に信義に背き、勇敢であると同時に臆病で、保守的であると同時に新たな事物を受け入れることに長けている」。矛盾し、もつれたこうした性格は、日本の行動の分析には使えるが、日本が反省を拒絶し、歴史を否認する口実にはならない。
反ファシズム戦争の勝利から68年が経った。歴史を銘記してこそ、ファシズムの再来を防ぎ、平和を期待することができる。歴史に真っ直ぐに向き合い、第2次大戦の「亡霊」を徹底的に清算してこそ、日本は真に「普通の国」となり、アジア各国・各国民の信頼を勝ち取ることができる。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年9月3日