野田政権が幕を閉じる前に「ポスト小泉」の日本政治の特徴を見る (4)
(4)「神格化」をメディアは反省せず
不思議なことに、「政界のスター」の神輿担ぎに熱中する日本の大衆メディアは、安倍、福田両氏の人気を自分たちでつくりあげ、誇張し、押し上げておきながら(事実上の「神格化」運動)、最後にはその落ち目につけこんで痛めつけたという自己矛盾した行動を別に気にしていないようで、自己批判もしなかった。日本の大衆メディアはまたすぐに、「失言癖」のある麻生太郎氏を集中的におだて上げ始めた。この時の世論誘導の重点は、麻生氏の「大口」を「ずばずばとものを言う」との美談に転化することだった。
だがほどなくして、「ずばずばとものを言う」この「大口首相」の位置づけをメディアは次のように変えた。「『百年に一人の無能首相』が『百年に一度の不景気』に遭遇」。これによって麻生氏の支持率は直ちに右肩下がりとなり、回復の望みも全くなくなった。前任の安倍、福田両首相が困難を前に退き、「逃げる」道を選んだのと異なり、麻生氏は政権にしがみついて放さない決意を固めた。麻生氏は首相の座を党内の誰に禅譲することも肯んぜず、むしろ自民党政権が自らと存亡を共にすることを望んだ。麻生氏のこの「環境がどんなに変化しようとも自らの手法を変えない」「居座り」第一の戦略の結果が、自民党から民主党への政権交代だった。(編集NA)
「人民網日本語版」2012年12月7日