「経済」という言葉は日本人の発明?
「経済」は現代の中国でおそらく、最も使用頻度の高い言葉のひとつだろう。ほとんどの人はその意味を理解していなくとも、街の食堂でさえ「経済・実恵」(経済的でお得)と、客を呼び込む。「経済学」はさらに大道をゆき、各大学の教室を独り占め、最も「熱い」専攻となっている。ニュースサイト「中国経済網」が伝えた。
しかしながら中国語としての「経済」および「経済学」の二つの言葉は、中国人が生みだしたものではない。起源は日本にあり、100年とすこし前、中国に伝来したにすぎない。
かつて中国は日本に影響を与え続けてきた。しかし明治維新の洗礼を経て、日本が西洋文明の神髄を学び、のちに先進諸国の仲間入りを果たすと、立場が逆転した。孫中山、魯迅、周恩来、郭沫若、陳寅恪、王国維、李叔同、郁達夫、秋瑾、陳独秀、張聞天、夏衍、田漢、周作人、そして蒋介石、廖仲ガイらは、いずれも日本に留学した。
日本人は英語の「economy」を訳した際、「経済」という漢字2文字を充てた。日本人はこの2文字こそ、英語原語の本義を表すと考えた。よってこの意義を持つ「経済」という言葉の発明者は中国人ではなく、日本人である。古代の中国人は、ときおり「経」と「済」を一緒に用いることがあったが、その意味は、今日の「経済」とはまったく異なる。
「経済学」に話を戻そう。1867年、幕末明治期の洋学者・神田孝平は英語の「economics」を漢字3文字「経済学」に訳した。
中国で最も早く経済学専攻を開設したのは北京大学。教授のなかには日本人も含まれ、講義を「経済学」と名付けた。
中国の国学の大家・梁啓超、厳復の両氏ははやくに「economics」を知り、それを「計学」あるいは「生計学」と訳した。すなわち「家計の学」だった。もっともこの訳はその後、人々に受け入れられなかった。
わたしたちが現在いう「経済」および「経済学」とは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、中日両国の文化的・人的交流の流れで、日本から中国に伝わった。
現代的意義を持つ「経済」という言葉はなかったが、古代の中国人には別の言葉があった。「経世済民」だ。「経世済民」の意味は、世界を治め、仏が衆生を苦しみから救うこと。これこそ、代々の中国の優秀な知識人が先人から受け継いできた理想である。(編集HT)
*ガイは「りっしんべん」に「豈」
「人民網日本語版」2012年12月3日