日本式の「食の無駄」 生活の質への高い要求が背景 (3)
■日本式の食べ物の無駄は生活の質に由来
ここまで日本人が普段食べ物を無駄にしないことについて書いてきた。では日本では食べ物を無駄にすることはないのだろうか?私たちが把握した状況から見て、実際は決してそうではない。日本では食品加工工場、スーパーマーケット、レストランの厨房、家庭の冷蔵庫に食べ物の無駄が見られる。日本はどの業界も競争が激しい。これは農産物、食品加工業も同様だ。商品の競争力を高めるために、農産物の大きさや品質は厳しく選択される。例えば一部の野菜や果物は形が良くないというだけで排除されるし、食品加工工場では肉の見た目を良くするため、多くの切れ端が取り除かれる。また、日本では食品衛生・安全面の要求が厳しいため、食品加工業者は衛生上の問題が起きないよう品質保証期間を短めに設定し、スーパーの多くの食品も期限上の問題で捨てられている。このほか、日本は生鮮食料品が多い。一部レストランでは料理の味を保証するため、元々変質していない食材も捨ててしまう。家庭の冷蔵庫でも無駄は見られる。現在の家庭用冷蔵庫は大型化しており、時間を節約するため一度にたくさん買って冷蔵庫に保存する人が多いが、食べ忘れて無駄にしてしまうことがしょっちゅうある。また、地震など非常時に備えた保存食も大きな無駄となっている。
これはたぶん、生活の質への要求が高まった後に生じた無駄だろう。だがどうあろうとも、これも無駄だ。こうした食べ物は別の形で利用できるかもしれない。技術者や関係者は良い方法を見つけてもらいたい。解決が急がれる食の無駄の問題に立ち戻ろう。中国国内では「親戚や友人が一緒に食事をするのは雰囲気を楽しむためで、料理を注文するにもそんなにいろんなことを考えていては、けちくさく映る」という声をよく耳にする。「文化の違いに過ぎない。中国人は太っ腹で豪放なことを尊ぶが、日本人はけちくさ過ぎるんだ」と言う人もいる。だがこれはまぎれもなく誤った認識だ。ひたすら太っ腹で豪放であることは、実は単にがさつであることが多い。文明レベルの高い社会ほど、個人が配慮すべきことは多い。他者の感じ方、公共の秩序、共有する環境、これらは社会の構成員一人一人が配慮する必要のあることであり、秩序ある社会を築くうえでの重要な要素でもある。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年2月1日