中国明朝と関係の深い「沖縄久米村」取材記 (2)
「久米崇聖会」の小渡陽禧氏(阮氏)は、「久米村の住民は、教育を大変重視している。過去の歴史において、漢字で書かれた文章に精通していることから、官職のほぼ全てを独占してきた。琉球国での儒学普及における彼らの貢献は極めて大きく、儒教は地元住民の生活に大きな影響を及ぼし続けてきた。「久米三十六姓」は、造船・航海、外交文書の編さん、翻訳通訳、明朝との貿易など各種業務に携わっていたため、琉球社会における地位はかなり高かった。琉球政府の高官を務めた「久米三十六姓」の子孫は数多く、鄭迥氏や蔡温氏はいずれも、三司官にまで出世した。那覇市牧志には今でも、「蔡温橋」という名前の橋が残っている。
「久米三十六姓」は、琉球という土地に、全く新しい刺激をもたらし、集落の形態・構造、家屋様式、紙が多など表層文化から社会分業、言語、宗教など各分野にいたるまで、各方面に多大な影響を及ぼした。世界的に有名な空手道のルーツも、「久米三十六姓」から始まっている。
■毎年孔子を弔う久米村の子孫
「久米三十六姓」は、漢字文明を琉球社会に伝えた。中国の儒教文化は、長年にわたり琉球王国の国教であった。「久米三十六姓」の子孫は、毎年孔子を弔っている。那覇にある孔子廟は、天妃廟と隣接している。来年「久米崇聖会」創立100周年を迎えるのを記念し、久米崇聖会は、久米村跡に新しい孔子廟を建てた。大成殿前に建てられた高さ10メートルの大支柱2本は、山東省曲阜市にある孔子廟の大成殿を模倣したもので、山東で彫刻が施された後、那覇に運ばれた。ここに刻まれた龍の爪は5本あり、琉球で伝承されている4本とは異なる。6月15日には、孔聖人を移す儀式が行われる。
那覇市には、有名な首里城など、中国と関係が深い数多くの遺跡がある。琉球王国の宮殿・首里城は、第二次世界戦争中にほぼ破壊された。戦後に復元され、いまでは沖縄観光で旅行者が必ず訪れる場所となっている。首里という名前は、琉球王朝に宛てた明万暦帝の詔書にある言葉「守礼之邦(しゅれいのくに)」に由来する。この4字は、額に飾られ、首里城で最も目立つ牌楼(中国式門型建築)に掲げられている。 この牌楼は「守礼門」と呼ばれており、日本の2千円札のデザインとなっている。(編集KM)
「人民網日本語版」2013年5月31日