|
沖縄の街でみかける風水の魔除け「石敢当」の石碑 |
かつて琉球と呼ばれていた沖縄。その県庁所在地である那覇へは上海から飛行機に乗ればわずか2時間で到着する。沖縄は、日本ではあるが、日本らしくない、日本の中でも独特の土地柄だ。歴史からみると、主に3つの出来事が現在の沖縄に影響を与えた。人民網が伝えた。
1372年: 中国、明(みん)朝初代の皇帝・朱元璋(在位1368-98)が当時琉球最大の中山王府に使者を派遣。これを受け中山王府が明に対し朝貢を始めたことで、琉球は中国文化の影響を受け始める。
1609年:薩摩藩が琉球に侵攻する。これにより、琉球王国の「日本化」が始まる。1879年に琉球は日本の沖縄県となる。
1945年:米国軍が沖縄を占領する。これ以降沖縄は30年間米国軍の管理下に置かれ、今もなお、米国軍基地が沖縄に置かれている。
このように、中国、日本、米国が沖縄の地に深い影響を与えてきたため、沖縄ではさまざまな土地の文化がまざった独特の風情が形成された。「時代の流れ」(嘉手苅林昌)という沖縄民謡にある「唐の世から 大和の世 大和の世から アメリカ世 ひるまさ変たる 此ぬ沖縄(うちなー)」(中国の世から大和の世、大和の世からアメリカの世 不思議に変わったこの沖縄)という歌詞がまさにこれを体現している。これらの国の中でも沖縄との関わりが最も古いのは中国であり、歴史も長いため、沖縄には今もなお昔と変わらない中国の風習が色濃く残っている。
■福建人の末裔が住む沖縄
沖縄の那覇市西北部に有名な「福州園」という庭園がある。園内には福州の代表的な風景や観光名所を真似て建設された楼閣などの建築物が建てられている。この庭園が建設されたのは1992年と最近のことだが、元々は、明から琉球に下賜された福建人が住んでいた久米村にあった。沖縄諸島最大の面積を誇る沖縄島にはかつて中山、南山、北山という3つの王国があり、うち中山が最も勢力を誇っていた。
1372年に中山王が明に朝貢を始めると、翌年には南山と北山も相次いで朝貢を開始した。15世紀、中山が琉球を統一し、独立した琉球王国を建設した。これ以来、中国と琉球は朝貢関係を結び続け、明朝が「尚」という名を与え皇族とする慣わしも踏襲され、「第一尚氏王統」と称された。1392年、朱元璋は福建省の造船・船舶関係の特殊技能を持った「福建人三十六姓」(三十六姓というのは数が多いことを形容すると言われ、多くの福建人を意味する。日本では「久米三十六姓」と呼ばれる)を琉球に下賜した。これらの人々は琉球に着いた後、一つの集落を作った。当初「唐営」と呼ばれたこの集落が、現在の久米村にあたる。
明から下賜され、中国から渡来してきたということで、久米村の人々は琉球王朝から重用され、王朝の重役を務めた。後に前後して琉球王朝の名宰相を務めた2人の有名な政治家、鄭炯と蔡温も久米村出身である。現在の沖縄県知事の仲居真弘も当時福建から来た蔡氏の第19代末裔だ。現在も久米村の孔子廟では毎年孔子祭が行われている。
[1] [2] [3] [4]