世界的に見ると、公教育は「公平」を強調し、基本教育の提供に力を入れているのに対して、私教育はより自由な裁量が与えられており、多元化し、オリジナリティある教育を提供できるため、二者は互いに補い合う存在となるはずだ。しかし、現実を見ると、そのような理論に基づいて発展するのは難しい。私教育の発展は市場の要素の制約を受けるもので、人々の個性や多元化、質の高い教育などへのニーズが高まっており、さらに、進学のプレッシャーが依然として存在しているのもあり、私教育は市場の強いプレッシャーに巻き込まれて、無秩序に発展し、教育の生態バランスを崩し、教育の面における不公平を悪化させる主な原因の一つとなってしまっている。
そのような現象が起きているのは日本だけではない。ラテンアメリカでは問題がさらに際立っており、学術界では「教育のラテンアメリカ化」という概念があるほどだ。大きな格差のある社会で、中流階級の家庭はレベルの高い教育を求めて、子供を公立の学校ではなく、私立の学校に通わせる。そして、公立学校、特に基礎教育の段階の公立学校は、クオリティの低い教育機関の「代名詞」になってしまう。経済的に余裕のない家庭の子供はクオリティの低い基礎教育しか受けることができず、エリート型高等教育の競争の中で、勝ち抜くのは難しく、階層の固定化が改善できないという問題が生じている。
このような「教育のラテンアメリカ化」という現象は、中国の多くの地域でも起こり始めている。例えば、一部の地域では、クオリティが一番高い学校は基本的に私立校となっている。そのような学校は、受け入れる学生の範囲や教師のクオリティなどの面で、優位性を誇り、私立校と公立校の差は開くばかりとなっている。
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