日本に来た当初について、毛丹青は、「自分は孤島のようで、全く違う生活環境に入ったと感じた。それにより、知恵の面で衝撃を受け、知識の蓄積ができた」と振り返る。日本で約10年職場生活を経験した後、毛丹青はやっぱり文学や思弁が好きであることに気付き、思い切って全ての仕事を辞め、1年間日本の各地を旅行した。毛丹青はそれを「放浪旅行」と呼んでいる。
「旅行は主に、創作のネタのため。あの頃は日本語で本を書くことを目指していた。母国語でない言語で、外国の文化や現地の人の気持ちを書くというのは、とても難しいこと。単なる自己満足にならないようにし、業界に受け入れてもらうために、ネタの収集はとても大切。日本文化を理解していない本が受け入れられることはなく、自分で一つ一つ掘り起こし、日本人でも知らないことを書けるほどにならなければならない。ビジネスをしていたころと比べると、これは大きなターニングポイントとなった。その時は『どうにでもなれ』という気持ちだった」と毛丹青。
ビジネスを辞め、作家の仕事をするようになった毛丹青は現在、大学の教壇にも立って9年経つ。普通の人ならほとんど経験することのないこのような変化について、毛丹青は、「とても貴重で、バラエティに富む人生で、刺激がある」とし、「人生で最も意義あるポイントは、スタート地点でもゴール地点でもなく、ターニングポイントかもしれない。どのターニングポイント、どの段階も、僕は全身全霊込めてやり、一点の迷いもなかった」と話す。2度のターニングポイントは毛丹青にとって、とても意義のあることだったのだ。(次回につづく)(編集KN)
「人民網日本語版」2017年5月23日
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