次は日本ドラマの番だ。「孤独のグルメ」では、井之頭五郎にとって「孤独」は、一つの楽しみであり、付き添ってくれる人を必要としない。一人で食事することは、「一人飯」と呼ばれ、孤独を一つの美意識、楽しみ、儀式にしてしまっているというのが、日本独特の文化だ。日本語には、さび(寂)という言葉があり、元々「寂しい」という意味だった語が、「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」を指すようになっている。物質的な美しさや豊かさがなくなると、人は誰しも独りぼっちになる。「平家物語」には、 「岩に苔(こけ)むしてさびたる所なりければ」という言葉が出てくる。また、織田信長、豊臣秀吉に仕えた茶人の千利休は、庭の朝顔を全て切り落とし、茶室に一輪だけ朝顔が生けて、「一輪であるが故のこの美しさ」と話し、朝顔の美しさで秀吉を驚かせたとの逸話がある。京都・龍安寺の枯山水は、普通の庭園では必ず使うはずの「水」を用いずに、それを砂を使って表現した庭園で、植栽も用いられていない。そこでは、万物が一つになっている。俳句は、江戸の町人文化で、「庶民がたしなむもの」と見られていた。しかし、俳人・松尾芭蕉は、「月花もなくて酒のむ独り哉」、「木のもとに汁も膾も桜かな」と詠んだ。これらの俳句は明らかににぎやかな食事の時間に詠んだ俳句ではない。孤独な時間を楽しむという空気は、わびさびを重んじる日本文化の美学で、それは、自分の時間を作ることのできる余裕のある人だけが楽しめる精神的なぜいたく品と見られている。一方、その平行線上にある庶民文化は、とてもにぎやかだ。庶民文化が本当の意味で形成された江戸時代に人気だった落語や浄瑠璃もとてもにぎやかで、観客席からは笑い声も起こるなど、熱気に満ちていた。そして、現代社会において、工業や文明が恐ろしいほど発展し、「孤独の美しさ」が庶民でも楽しめる「日用品」となった。このように、日本では「孤独」が一つの美学になっている。(編集KN)
「人民網日本語版」2017年5月26日
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