「みんなが私を救ってくれた。残りの人生をどう生きるべきか?」。その時から、張さんは自らの命を華坪県に捧げてきた。子供のいない張さんは、2001年から、ボランティアで華坪県児童福利院の院長になった。そこの子供たちは張さんのことを「お母さん」と呼ぶ。
そして張さんは、クラスの女子生徒はますます減っていき、学校に来なくなってしまった生徒もいることに、次第に気付くようになった。なぜならば、数少ない教育のチャンスは、男の子に与えるという家庭が多いからだった。山奥に住む女の子たちは、若くして結婚し、子を生み、農業に従事するというのがごく一般的な運命だ。そしてそんな彼女たちが女の子を生んだ場合、同じように重視されることはないからだ。
張さんは、教育を受けた女性は、代々貧困という負の連鎖を断ち切ることができると考えている。そのため、山奥に住む女の子が無料で通うことができる女子校を創設することを決めた。資金もなく、クラス担任の経験しかなかったものの、張さんは、必ずやり遂げると心に決めた。
張さんは2002年、これまで手にしたあらゆる賞状を全てコピーし、昆明市の街中に並べて寄付を募るという、思い切った行動に出た。張さんは当時、雲南省の人口はとても多いので、1人が5元や10元でも寄付してくれたら、学校を建てることができるのではないかと、単純に思っていたという。しかし、彼女がペテン師だと考える人もいれば、犬を放って噛みつかせようとした人までおり、5年かけて集まった寄付はわずか1万元ちょっとだった。
2007年、華坪県は、第17回党大会に参加する張さんの正装を購入するための経費として、数千元を渡したところ、張さんはそれを児童福利院に寄付してしまった。
そして、張さんは自分では気づいていなかったものの、すでに穴の開いてしまっているズボンと着古した服を着て、北京に行った。第17回党大会開催期間中、メディアはこの穴の開いたズボンを穿いた党代表の張さんに注目しただけでなく、彼女が創設したいと願っている女子高にも注目するようになった。
こうしてなんとか学校は創設できたものの、その環境は厳しく、生徒たちのレベルも低かったため、ほどなく教師17人のうち9人が辞めてしまった。細かいことにまで目がいく張さんは、残った教師のうち6人は中国共産党員であることに気付いた。そして、「戦争の時代だったら、共産党員が一人でも残っていれば、陣地を見捨てられることはなかった。ここにはその共産党員が6人もいるのだから」と信念を抱き続けたという。
それから10年、張さんを先頭に、教師や生徒、保護者の努力の甲斐あって、華坪女子高級中学は実り多い成果を挙げるようになった。例えば、2011年第1期卒業生のうち、96人が中国大学統一入学試験(通称、「高考」)を受験し、69人が学部の大学に入学できる点数をクリアし、一本大学(最高ランクの大学)に入学できる点数をクリアした学生の割合は4.26%だったが、2020年には、同試験を受けた学生159人のうち、150人が学部の大学に入学できる点数をクリアし、一本大学に入学できる点数をクリアした学生の割合は44%にまで上昇した。
「私は生まれながらにして高い山であり、谷間を流れる渓流ではない。私は山々の頂に立ち、平凡な谷間を眺めたい」、これは、華坪女子高級中学の校訓だ。張さんは、女子生徒たちが、自信を持ち、野心を抱くよう励ましている。そして、生徒たちにはたとえ山の奥深くにいたとしても、素晴らしい外の世界を目にし、素晴らしい未来に目を向けてほしいと願っている。
「今、大部分の女子生徒たちが医師や教師、警察、軍人などの職業を選ぶようになっている。今年、女子学生2人が兵士となり、辺境の西蔵(チベット)自治区に行くことを知り、離れがたい思いに駆られた」と張さん。
そしてその2人に張さんが、「なぜチベット自治区を選んだのか」とたずねたところ、生徒たちから返ってきた答えは、「祖国が必要とする所に行かなければならないというのは、先生が教えてくれたことでしょ」というものだったという。(編集KN)
「人民網日本語版」2021年7月6日