中国共産党における最高栄誉である「七一勲章」の授与式が6月29日に行われた。張桂梅さん(64)は授賞式のスピーチで、「命ある限り、教壇に立ち続け、全力を尽くし、自分の全てを捧げたい。そこで死んでも悔いはない」と、この言葉の時には特に力強い口調で語った。中国青年報が報じた。
生中継を見ていた中国全土の視聴者は、膏薬をたくさん貼った張さんの手に注目した。その両手で、これまでに学びたいと願う山奥の女の子たち2000人近くを山から送り出してきたのだ。
張さんは、支えられながら人民大会堂を歩き、階段を上がる時も、足元が覚束ないほどだった。そして、手首や手の甲、指の関節などには膏薬がたくさん貼られていた。今年2月、人民大会堂で開かれた全国貧困脱却難関攻略総括表彰大会の時も、張さんは車いすに乗って表彰を受けた。
張さんの物語については、中国のほとんどの人が知っているといってもいいだろう。張さんは中国初の無料の女子校である「雲南省麗江華坪女子高級中学」を創設した。そこで、学生は毎朝5時過ぎには起床し、夜は12時を過ぎてから寝るという生活を送る。また、教室から食堂への移動は3分以内に、食事は10分以内に終わらせなければならない。
張さんはこのスパルタともいえる厳しい管理スタイルで、生徒たちの強い精神を磨き、必死に勉強させる。実は、学校で一番早く起きて、一番遅くに寝るのは張さん自身だ。
張さんはここ12年間、ほぼ働きづめの日々を送っている。しかも肺気腫や肺線維症、小脳萎縮症など、23種類の疾患を抱え、満身創痍の身だ。
にもかかわらず、ここ12年の間に、張さんは約11万キロ歩いて家庭訪問を行い、農村の女の子たち約2000人の入学をサポートしてきた。「とても大きな山がある。なかには先祖代々の中で初めての高校生になったという女子生徒もいる。経済的に貧しい家庭や男尊女卑の考え方をしている家庭を一軒一軒説得してきた。私の高校は1銭もいらない。大学進学もサポートできる」と張さん。
原籍が遼寧省にある張さんは17歳の時に雲南省の辺境地区に行き、その後、夫と共に大理白(ペー)族自治州へ移り、喜州一中の教師になった。1996年に、夫が末期の胃がんと診断されると、張さんは、家中の貯金をかき集めて治療費に充てたものの、夫は治療の甲斐なく亡くなってしまった。
その後、張さんは華坪県中心中学に赴任した。しかし、半年もしないうちに、子宮筋腫と診断された。その重さは2.5キロにも達していたという。絶望していた張さんだが、同僚たちは治療を続けるよう励ましてくれたという。「当時の華坪県の県長は、『心配しなくていい。どんなに貧しくとも、あなたの命だけは必ず救ってみせる』と言ってくれた」。
華坪県が張さんへの寄付を呼び掛けると、ある山の中に住む女性は、交通費だった最後の5元(1元は約17.2円)まで寄付してくれた。
ほどなく、張さんは九死に一生を得た。