わがままを個性とはき違える中国のスター選手=人民日報
中国スポーツ界で現在最も名声が高い人物と言えば、全仏オープンで中国人として初めて優勝を飾った現役テニスプレイヤーである李娜(リー・ナ)選手と昨年の「ロンドン五輪」で400メートル自由形と1500メートル自由形で金、200メートル自由形で銀、800メートルリレーで銅と4個のメダルを獲得した競泳の孫楊(スン・ヤン)選手の2人にほかならない。しかし、2人が以前のトップアスリートたちと違うのは、試合以外における態度が配慮に欠けている点にある。
有名になる前から、李娜選手は決して生真面目なタイプのテニス選手ではなかったが、有名になった後は、さらにコート上で感情をコントロールできずに負けたり、コート外では時と場合を考えずに軽はずみな発言をして、始終誤解を生んでいる。孫楊選手に至っては、オーストラリア人コーチのデニス・コトレル氏の指導がなければ、才能があっても芽が出なかったかもしれないのに、有名になると、まだ未熟な孫楊選手は恩を忘れて何度もコーチを変えようとした。
李娜選手の勇姿が最も輝く舞台は、テニスのグランドスラムを制覇したコートであり、孫楊選手が大きな影響力を持つ場所は競泳のプールの中だ。李娜選手は紛れもなくこれまでで最も傑出した中国人テニスプレイヤーであり、大げさではなく、中国テニス界の発展における推進力は、恐らく過去のどの選手にも実現できなかったほどのものだ。また、孫楊選手のプール上で見せた実力や、ほとばしる闘志は中国人をこの上なく痛快な気持ちにさせた。
もっとも、テニスコートやプールを離れた李娜選手や孫楊選手の態度にも、評価できるところはある。全仏オープンでグランドスラムを手にした当時の李娜選手が見せたユーモアやエスプリに富んだ率直な言動は中国人に非常に新鮮な感覚をもたらした。また、「オリンピックの勇者」と称された孫楊選手は、爽やかでかっこよく、情深いところが人々を魅了した。しかし、あれからわずかの間に、李娜選手の率直さはなんども人々の議論の的となり、孫楊選手の「わがまま」も自身を世論の攻撃の渦中に立たせた。
李娜選手や孫楊選手の身の上に起こったことは、人々にますます避けて通れないある問題を強く意識させた。明らかに個性が重視される時代の流れにおいて、スポーツ選手の個性は当然ながら許されるものなのか?スポーツ界のスターたちの個性はすでに公序良俗で許容できないほどに肥大しているが、このような個性はこれまで通り持ち続けるべきものなのか?現在のスター選手の個性はすでに目に余る、単なるわがままへと変貌しており、いったい誰がこの恐ろしいわがままを抑制できるというのか?
中国スポーツ界の発展過程において、李娜選手や孫楊選手が創った記録や業績はほかの誰にも取って代われるものではないし、真似できるものでもない。しかし、このような功績は2人を中国スポーツ界のシンボル的な人物にさせ、自分の個性をわがままへと進化させていい理由とはならない。スター選手がすべてにおいて完璧である必要はないというのも分かるが、人を不快にさせる行動をスター選手が度々繰り返すことを受け入れることは難しい。李娜選手や孫楊選手が悟るべきなのは、人々がスター選手を受け入れるのにそんなに長い時間を必要としないのと同様に、最終的にその人物を嫌い、見放そうと思うのも、長い時間は必要としないということだ。
テニスコートやプールで自分たちがすべきことをやる。これこそが李娜選手や孫楊選手が自身の影響力の基礎固めにつながる。テニスコートやプールの外では、李娜選手や孫楊選手は情勢を見て、自我をコントロールし、個性をわがままと勘違いせず、わがままな行動によって人々の心理的な怒りに触れないように努め、同じように積極的に方向性や現実的な意義を備えるようにするべきだ。(編集MZ)
「人民網日本語版」2013年7月2日