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毛丹青氏独占取材(1)莫言氏と大江健三郎氏の交流をプロデュース (2)

毛丹青氏

 以下は人民網が行った毛教授の独占インタビューの要旨。

 人民網:中日の作家の交流を促進する意義は何だと考えるか?

 毛教授:まず、私は文学青年で、小さなころから小説を読んだり、何かを書いたりするのが好きだった。日本で生活するようになった25年前、中国にはすばらしい文学作品がたくさんあるのに、日本ではあまり知られていないことを知り、何かやきもきするような気持ちにさせられた。その気持ちは今でも強く残っているため、限られた空間と人脈を通して自分にできることをしている。私がしていることは草の根のようなもので、単に「自分が好きなこと」だから。「使命感に燃えている」というようなことではない。中国文学のためにしなければならないことで、自分にできることがあるのなら、したいと思っている。長年こつこつとやっている間に、莫言のほか、蘇童(スートン)や余華(ユイホア)、アニーベイビーなど多くの中国人作家が初めて隣国日本に来た時に、一緒に過ごせたことを光栄に感じている。私は彼らの目を通して日本を観察したいと思っており、互いにとって益がある。

 人民網:中日の作家の共通点は何か?また、交流を進める時に生まれるものは何か?

 毛教授:私が日本の出版界や文壇(ぶんだん)とつながりがあるのは、98年に日本語による作家活動を始めた時に、私の作品を出版する出版社が私をこの世界に入れるようにしてくれたから。そして自然と日本を代表する作家と知り合うことができ、交流の機会ができた。私は交流を通して、作家同士の間には、決して抽象的なものではない、共通のインスピレーションがあるということを知った。その典型的な実例が、02年に莫氏が私と大江氏を彼の故郷に連れて行ってくれた時のことだ。大江氏はあぜ道で、「風景は人と記憶のかけ橋であり、我々は風景を通じて記憶を自由に行き来することができる。今日はとても感動した。生まれて初めて果てしない地平線を見ることができた」と述べた。彼はこの言葉を語った時、少し涙ぐんでいて、私も感動した。私は、彼は文学において最も大切なものに触れることができたと感じた。文学家にとって必要なものとは、大々的なスローガンではなく、実際の風景なのだ。この時、我々の交流は国や言葉を超えた心の交流になった。果てがない地平線を見渡すことができる田舎である莫氏の故郷が、愛媛県喜多郡内子町という山中の町で育った大江氏の幼い頃の記憶を呼び起こしたのだ。この交流の発起人であり、現場で通訳も務めていた私はその時、何も繕うことも隠すこともない感情の表現を肌で感じることができ、本当に光栄だった。だから、このような方法で中国と日本の作家の交流を促進することに、なにも間違いはないと思っている。(編集KN)

 「人民網日本語版」2012年11月23日

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毛丹青氏独占取材(2)莫言とその作品
毛丹青氏独占取材(3)莫言氏と日本人文学者の懸け橋
毛丹青氏独占取材(4)「日本を知るために力を尽くしてきた」

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