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資料写真:莫言氏と莫言小説の翻訳者・吉田富夫氏 |
以下は人民網が行った毛教授の独占インタビューの要旨。
人民網:莫言氏とはどこで知り合ったのか?普段の生活において、莫氏はどのような方か?
毛教授:知り合って20年以上になる。あの頃、私はまだ日本で魚介類の貿易を営んでおり、いろんな所に行った。その時、文学に造詣(ぞうけい)が深い方と知り合い、その方が莫氏を紹介してくださった。莫氏と出会ったのは仕事で雲南省昆明市に行っていた時。それから莫氏と交流するようになり、文学について語り合うようになった。具体的になにかということはないが、とても気が合うと感じた。なぜなら、私も文学青年だったからだ。
私はこれまでずっと自分は莫氏の日本におけるプロデューサーだと自負し、10年以上にわたって彼が日本でさまざまな交流ができるようサポートしてきた。私は莫氏と日本で何度も旅行に出かけ、いろいろな所に行った。彼は小説の中の人物なのか、外の人物なのか、時々わからなくなるというのが、普段の生活の中における私の彼に対する印象だ。彼は自分の小説を日常生活の中に盛り込むことができる。今でも覚えているのは、小説家・川端康成の著書「伊豆の踊子」の舞台となった静岡県伊豆市湯ヶ島温泉の旅館に行った時のこと。食事の際、莫氏が「箸入れの中の割りばしがもうすでに割れている」と言いだした。私は彼の言葉を信じなかったが開けてみるとなんと本当に割れていた。
そして翌日、温泉に入った時も「さっき入るときは確かに閉まっていたのに、湯船に通じるドアが開いている」と言うので行ってみると、なんと本当に開いていた。本当に神秘的だった。その次の日、駒澤大学での講演で、莫氏は「神秘的な日本と私の旅行」と題する話を即興で行い、「私は川端康成の魂に出会ったと感じた。彼は私のような人間も、楽しい非現実の世界へと連れて行ってくれた」と語った。
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