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山本写真館 日本人カメラマンが捉えた清末期の北京 (2)


1901年、ロバに乗った女性。


1899年に撮影された西四大街。南から北向きに撮影されたもので、遠くに西四牌楼が見える。


1901年、法衣姿で整列する雍和宮の喇嘛。

 当時、北京の写真館の競争は東京、香港、上海ほど激しくはなかったが、北京の人々は中国人の写真館の方を好んだ。肖像写真撮影で現地の写真館との競争に敵わなかった山本氏は、重点を北京の風景撮影へと移した。1899年に山本氏は「北京名勝」というタイトルで、写真36枚を収録した初めての北京に関する写真集を出版、西洋人の人気を集めた。彼の写真はよく売れただけでなく、ハガキとなって世界各地へ送られた。

 よい事は長くは続かず、1900年に義和団事件が発生した。写真館は義和団から「二毛子」(西洋人に雇われた中国人の蔑称)と見なされ、「洋服店や写真館はことごとく焼き討ち」に遭い、北京の写真館は大きな被害を受けた。戦乱が収まると、大使館に避難していた山本氏は店を再開し、また戦乱後の北京を撮影した。氏が撮影した同じ場所での写真から、戦争が北京に与えた被害を知ることができる。氏は以前に前門大街を撮影していたが、戦乱後に同じ場所、同じ角度で撮影した写真と見比べることで、店の多くは再建されたものの、永遠に失われたものもあることに気づく。
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