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オフショア金融センター・東京の浮沈を見る(中編) (2)

 潘理事:東京金融センターの地位は、円の地位と一致している。

 日本は1980年に「外国為替及び外国貿易管理法」を改正し、外国為替の管理を原則的に撤廃し、円の自由取引が実現された。日本はその後、米国と日米円・ドル委員会を設立し、円の自由化と国際化を宣言した。旧大蔵省(現在の財務省)は1984年に政策報告書「金融の自由化及び円の国際化についての現状と展望」を発表し、日本政府の円国際化戦略をスタートさせた。日本はその後、欧州の円建て貸付および欧州の円建債に関する規制を迅速に緩和し、東京オフショア市場を設立し、中長期欧州円建て貸付を開放した。また欧州の円建て債および住民の海外預金の自由化を行い、貨物貿易における円決済の比率を大幅に高め、円の国際化を推進した。

 日本は円の国際化の加速により、債券・外国為替などの金融市場の発展を力強く推進した。1985年のプラザ合意の締結により、円の対ドルレートが大幅に上昇した。同年、日本の長期資本輸出額は、1984年の800億ドル余りから1298億ドルに急増し、世界最大の債権国となった。東京債券市場の1986年の取引総額は1985年の2倍に当たる28億ドルに達し、米国を抜き世界最大の債券市場となった。1988年の日系銀行の対外資産負債残高は世界全体の38.2%を占めた。東京証券取引所の取引総額も1990年にニューヨークを抜き、ロンドン・ニューヨークと肩を並べる世界的な国際金融センターになっていった。

 円高もまた、円の海外における人気を高めた。円はその最盛期において、海外の中央銀行の外貨準備高に占める比率が8%に達した。しかし円高により獲得した人気は脆弱なもので、バブル経済を引き起こした。日本経済の長期的な衰退もまた円の地位を脅かしている。円が海外の中央銀行の外貨準備高に占める比率も下がり続け、約2%のみとなった。円は現在、アジア内でも各国から支持されていない。アジア諸国の貿易決済通貨は依然として米ドルが中心で、ドル建て資産の保有に意欲を見せている。(編集YF)

 「人民網日本語版」2013年3月7日
 オフショア金融センター・東京の浮沈を見る(1)

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