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「続・深夜食堂」に見る日本文化 料理よりも美しい「死」

人民網日本語版 2017年07月26日14:51

若い時、友達と一緒に北京の東直門のグルメ街である■街(■は竹かんむりに艮、その下に皿)に行き、夜遅くまでお酒を飲みながら、肉の串焼きやザリガニ料理を食べるのが好きだった。そして、脚本家である私は友人に自分が作った物語を語っていた。このグルメ街でお酒を飲むのにはルールがあり、夜中に街をふらついている亡霊のために、帰る時にはお酒をコップ半分、料理を一口残しておかなければならず、そうしなければ亡霊が家までついてくるとよく言ったものだ。もちろん、それは酒の席での「ネタ」に過ぎないが。(文:大米。光明網掲載)

このグルメ街は、元々「鬼街」と呼ばれていた。「鬼街」ではイメージが悪いため、発音はそのままで漢字を変え、現在の名前で呼ばれるようになった。しかし、「鬼街」が元々どんなところであったかは今でも多くの人が知っている。昔、東直門の橋の近くに中国古代の3足の酒器「爵」があったのを覚えている。今はそこに、祖先を祀るために穀物を盛るのに用いられる鉢形の器「■」が置かれている。このように中国の伝統文化の遺伝子において、「食」と「死」には密接な関係がある。

清の時代、北京の各城門にはそれぞれ異なる用途があり、用途に反して利用することはできなかった。例えば、東直門は、北京城内に木材を運ぶほか、城外に死体を運ぶための門だった。深夜に死体を運び出し、埋葬しに行く前に、人々はここで足を止め、お酒を飲みながら食事をし、お腹を満たして元気をつけた。明るく活気ある城内に対して、城外は真っ暗な墓地だった。その後、1949年に新中国が建国されるとそこには、いろんな物を売るたくさんの店が集まるようになった。しかし、国営の百貨店を含めてほとんどの店が長続きせず、飲食店だけが繁盛していた。また、それらの飲食店は、日中はほとんど人気がないのに対して、夜になると大勢の客でにぎわう。反対に、平安大街に行くと、食欲はわかず、飲食店を見てもほとんど客はいない。これが文化、伝統、習慣である。

「食」と「死」には切っても切り離せない密接な関係がある。生きている間は、毎日必ず食事をし、この世を去る日になって初めて食べ物を消費する必要がなくなる。その日には、親戚や友人らは宴会を行い、人が亡くなったという悲しみを、たくさん食べることで紛らわそうとする。中国古代の詩人・陶淵明は、「親戚は悲しみ余し、他人は已に歌う。 死し去らば何の道ふ所ぞ、体を託して山阿に同じくせん」と詠んだ。日本文化において、死に対する態度は、魏晋南北朝時代(220—589年)の型にはまらない態度を継承している。


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